城間家と
琉球の手しごと
城間びんがた工房で働く人々
インタビュー
琉球王朝時代から続く紅型を、
戦後の沖縄から様々な苦労を乗り越え、
伝統を新しい時代へと繋いできた城間家。
城間びんがた工房で働く皆さんに、
仕事に携わったキッカケや
大切に思っていることなど、お話を伺いました。

迎里 勝さん
迎里 勝さん
この仕事に就いたきっかけを
教えてください
この仕事に就いておよそ18年ほど経ちますので、かれこれ20年くらい前になるでしょうか。以前、自分でレストランをやっていたのですが、その当時、狂牛病の煽りを受けて店を閉めることになったんです。そんな時、ちょうどテレビを見ていたら「藍染」の特集をやっていました。私自身は石垣島出身なので、それまで紅型の存在を知りませんでしたが、沖縄にこんなに素晴らしい染色があるんだ!と大変興味が湧いて、吸い込まれるようにこの仕事に就いたんです。
お仕事のこだわりや、大変と思って
いることなどを教えてください
言葉で伝えるのはとても難しいのですが、紅型自体が持つ力というか、色の内側から出てくるイメージが感覚として伝わってくることがあります。それに従って、なろうとしている姿に仕上げていくお手伝いをするといった感覚を大切にしています。また、製品としてだけでなく、着てもらって、締めてもらって100%になると思っていますので、それまでのお手伝いをさせていただいているという気持ちで仕事に臨んでいます。
大変なことはもちろんありますが、紅型の仕事が楽しい・心地良いという気持ちの方が大きいです。18年ほど前に全く違う業界からこの世界に飛び込みましたが、どんどん興味が湧いてくる感覚があります。もっと知りたい!って。各工程それぞれに先輩方がいらっしゃいますが、私自身もっと上手くならなきゃとプレッシャーを感じるほど奥深さを感じるし、ゴールのないチャレンジの連続に楽しさを感じています。
個人でも作家活動をしていますので、デザインから最後まで携わることもありますが、キャリアを積んでも、まだまだ!と思うことは色々あります。例えば、デザインする際、自分のイメージを形にしていくなかで、なかなか思ったように表現しきれていない…などと思うこともまだあるんですよ。そんな時には、古典の紅型に立ちかえるようにしています。自分がデザインしたものの型彫りを、今の自分たちの感覚でやると、平均律みたいにピシッとした感じになりがちですが、古典の紅型には、純正律のような抑揚があって、味のある歪みというか、揺らぎのような感じがあるんです。ですので、自分の新しい表現をしたい時などは、一旦、古典紅型の型をトレースをして、その古典紅型の感覚を体に馴染ませるようにしてから、自分がデザインしたものを彫るようにしています。本当に奥深くて、一生勉強ですね!

神谷 明子さん
神谷 明子さん
元々、このお仕事に携わる前は、
どんなことをされていたのですか?
私がこの仕事に就いたのは、50歳になる前の頃なんですよ。元々は、中学生の頃に染色を学びたい!って思い、高校は念願の首里高校の染色デザイン科に進みました。大学でも染色を専攻し上京したのですが、そこから工房に勤めるという感じにはならなくて、卒業後は教員の道に進み、その後結婚して、染色とは違うことをずっとやっていました。3番目の息子が中学校に上がる時に、なんとなく漠然と、“私の人生、このままでいいのかな?本当は何がやりたかったんだろう?”って思った時に、浮かんだのは“紅型”しかなかったんです。そこで思い立って高校の恩師で、人間国宝にもなられた祝嶺恭子先生に、“先生、私やっぱり紅型やりたい”って相談したら、城間びんがた工房に電話してくださったのが、ここで働くきっかけになりました。
後から聞いた話なんですが、城間栄順先生と奥さんに面接をしていただいたのですが、50歳手前の人を今から入れてどうするの!? って、結構なざわつきだったそうです(笑)。恩師である祝嶺先生や、いろいろな方々の口添えもあって、面接の後、いつから来られる?と言ってくださり、こうして城間びんがた工房でお世話になっています。学生の頃の夢が叶って、紅型に携わることができ、今は毎日が楽しいです!
実際に紅型の仕事に携わってみて
いかがですか?
高校生の頃に、先生から、“職人の世界は10年で一区切り。だから一つの工程を10年ずつやらないと自分のものにならない” と言われましたが、本当にそうだなぁと感じています。この世界に入って14年目となりますが、今は基本的に隈取りの工程を主にやっています。毎日やっている仕事なので、今ではだいぶ慣れてはいますが、自分の作品を一から作る際などは、型彫りも、型置きも、他の工程は誰かに教えてもらわないと、なかなか進まず大変です。
今、どういう想いで
お仕事されていますか?
とにかく、紅型に携わることができて、やっぱり楽しい!です。紅型って、沖縄そのものなんですよね。紅型には、沖縄にない、中国の柄や本土の柄もあるんですが、それらは、交易時代からこれまでの歴史の中で、いろいろなものを取り込んで、消化し、そして沖縄のものとして昇華されてきた背景があります。紅型を見て、美しいと思って惹かれるのには、こうした沖縄の魅力がギュッと詰まっているからなんだと思います。それに携われていることは、本当に楽しいです。
同世代の中では、いつリタイアして、定年を迎えたら何やろう?なんて話になるんですけど、私はなるべく長く仕事をしたいと思っています。それこそ本当に80歳くらいまで(笑)。定年がグングン後ろに伸びて、毎日仕事ができるといいな!って思っています。

有山 誠さん
有山 誠さん
この仕事に携わるようになった
キッカケを教えてください
私は、この工房に来て4ヶ月なのですが、以前は石油精製の会社でプロジェクトエンジニアをやっていたんですよ。東京の多摩出身で、その後、転勤で和歌山と横浜に住んでいたのですが、趣味だったダイビングがやりたくて2009年に沖縄に移住してきました。その後、伝統工芸をちょっとやってみたいな、と紅型体験に参加してみたところ、それがとても面白くて、2015年の夏頃から紅型教室に通うようになった、というのが紅型との出会いでした。
最初は趣味で習っていましたが、沖縄県がやっている後継者育成のための工芸指導所に一年間通い、紅型を習うことが出来ました。そんな折、城間栄市さんが職人を探しているという話があって、当時すでに60歳を超えていましたが、図々しくも、どうでしょうか?とお話をさせていただいたんです(笑)。そんな縁もあって、来ていいよ!と言われまして、今こうして仕事をしています。今は一番経験がない中で、皆さんの足手まといにならないように、一つ一つ丁寧にやっているところです。
この仕事のどんなところが
楽しいですか?
だんだん色が重なっていくと綺麗な色になっていく、それがすごく楽しいです。何色も色を使うと濁った感じになることがありますが、紅型は、最初の段階で配色がしっかり作られていて、多くの色を使ってもぶつからず、一つ一つの色が美しい。それも紅型の魅力の一つだと思います。
今、仕事で心掛けていることは
何ですか?
染めるにしても、配色の工程をする人がいて、いろいろな仕事・いろいろな人がつながっているということを実感しています。どんな工程も欠けてしまっては製品として上がってこないので、今はどんな工程であっても、一つ一つ丁寧にやっていこう!と心掛けています。
また、ここの工房に入り、いろいろな人とも接しながら、もっと繊細に、もっと深く、ものづくりに向き合わなきゃ、と気づくことが出来たことも良かったことです。先輩方が、一つの色をとってみても、もうちょっと明るい方が良いな、もうちょっと暗い方が良いかな、と真剣に向き合っている姿を見ながら、自分も、もっと考えなきゃいけない、と非常に勉強になっています。

城間 あずきさん
城間 あずきさん
この体操は、
あずきさんが考えられたんですか?
はい!ストレッチの本とか、体は脳に全部が繋がっているよ〜という本とか、体の本などを読んで、一から体操を考えました。体と心ってつながっていると私は思っていて、自分のセルフチェックという意味でも、この体操の時間だけは自分に向き合って、自分の体、今日はこうだな、昨日とどう違うんだろう、というように意識を向けてもらえたらという想いで、1日のカリキュラムの一つとして体操の時間を設けました。また、呼吸をみんなで一日一回でも合わせる、ということは、同じ方向に向かっていくよ!という意味でもすごく大事だと思っています。
やってみたら、朝ちょっとボーっとしているところから、脳がだんだん目覚めて言って、体が動き出す。また、体操の中で、肩甲骨を意識して胸を開いていると、気持ちも前向きになってきます。後向きで仕事はできないじゃないですか。だから、胸を開いて上を向く。これ、とても大事だと思います。
今、一番心掛けていることは何ですか?
主人の栄市と一緒に、次につなげて紅型を続けていくことを心掛けています。私自身は会ったことはありませんが、栄市の祖父の栄喜さんに呼ばれてここにいるって思うことが不思議ですがあるんです。縁というのか、運命的な? 親・祖先がつないできて今がある。私もそれに支えられ、応援されながら、今、そしてこれからを進んでいこうって思うんです。
あずきさんから見て、ご主人の
栄市さんはどんな人ですか?
すごい人だと思います。みんなが一生懸命に守っているものも知りながら、新しいことにどんどんチャレンジしていて、すごいなと思っています。大変そうだな〜、不器用だな〜、言葉が足りないな〜なんて思うこともあるけど(笑)。私はそれらも含めて、栄市さんは栄市さんのままで良いと思っていて、それを応援したいなって思っています。
みなさま、ありがとうございました。