【やまと】
城間びんがた工房 16代目・城間栄市 × やまと 代表取締役社長・矢嶋孝行 スペシャル対談

沖縄がかつて琉球王国だったころに⽣まれた伝統的な染⾊技法である“紅型”。
当時は権⼒の象徴として⼀部の特権階級にしか着⽤が許されていませんでしたが、今では多くの⽅に愛され着⽤されています。

そんな紅型をつくり続けている紅型宗家・城間家。戦後に型紙や道具などをすべて失った紅型を復興すべく尽力した14代・栄喜さん。沖縄でかつて着用されていた「琉装」としての紅型から、現代の「きもの」としての紅型へ挑戦した15代・栄順さん。そして、紅型宗家・城間家が営む「城間びんがた工房」の16代目である城間栄市さん。紅型の技術を代々受け継いでいきました。

2022年4月に実施した社内イベントへ栄市さん(以下、「栄市」)にお越しいただき、講演を実施。やまと代表取締役社長の矢嶋孝行(以下、「矢嶋」)との対談を通して、先代である父・栄順さんとのエピソードやものづくりへの想いを語っていただきました。

紅型とインドネシアの意外な共通点

矢嶋栄市さんは8年前に代替わりをされ、藍染め・デザイン・型彫りを20年以上行っています。10代の後半からものづくりに携わっているそうですが工房に入られるまでは海外に行ってらっしゃったんですよね。
栄市そうなんです。僕は仕事場と生活の場が一緒になった場所で生まれ育ちました。なので、仕事は継がなきゃいけない、というよりかは自然とものづくりに取り組んでいくんだろうな、と思っていたんです。ただ、そういう意味でも首里という街に留まることになると思っていたので、20代のころに地元以外の世界を知りたいと思ってインドネシアに2年間住んでいました。

インドネシアへ行きたいと思った時、父に「チャンプルー文化をインドネシアで花開かせたい!」と1時間程熱く語ったら「よくわからないけど、早く寝て早く起きなさい」って言われました(笑)。その後、僕なりに感受性の高い時期を現地で過ごしていたんですけど、父が77歳の展示会の時に「帰ってきなさい」と言われまして、いよいよか、という気持ちで日本へ帰ってきました。それから5年ほどして、引き継ぐ段階に入ったという感じですかね。
矢嶋2022年2月に栄順さんの米寿を記念した展示会へお呼びいただき、大変光栄なことにテープカットにまで参加させていただきました。とても物腰が低くお優しい方なのですが、栄順さんが「(紅型を)頼むよ」って一言おっしゃってくださったことがとても印象に残っています。

インドネシアに行ったことで、今の栄市さんのものづくりに影響を及ぼしていることはありますか。
栄市当時、インドネシアのジョグジャカルタに住んでいたのですが、今でも王様がいるんです。向こうの染物も王族向けと一般向けでまったく異なっています。王族向けのものは細かすぎて2年くらいかかるようなものもあったりして、精神修養のためにひたすら同じ柄を6m描く、みたいな。どこか紅型と通じるようなこともあり面白いなと思ってインドネシアに行ったんです。案の定、そういう細かい作品にはまりまして……なので僕の作品は柄の細かいものが多いですね。

もう一つ面白かったのは、織物ってどの地域でも花や鳥などのモチーフは大差ないんですよ。日本でも東南アジアでも中国でも、共通のモチーフが多いんです。それでも地域によって捉え方は異なっていて、インドネシアの方から見た「桜」はこういう風に見えているんだ、と日々刺激を受けていました。



矢嶋先ほどのインドネシアの話もそうなんですけど、琉球王国っていろんな国と国交があったんですよね。先ほど「チャンプルー文化」という言葉もありましたが、異国の良いところを取り入れて独自の文化にしていくことができるというのが琉球王国の強みだったのかなと思っています。そういう歴史からどんどん進化していったのが紅型であり、花織といった織物です。とても面白い背景だなと思います。

城間びんがた工房が大切にしていること

矢嶋栄市さんから見る栄順さんってどんな方ですか。また、父親から師匠に変わっていった話もお伺いできればと思います。
栄市父なりに家族と職場を分けていたんじゃないかなと思っています。僕は父が45歳の時の子どもなのですが、今でいう友達みたいな親子関係ではないんですよね。父の言うことは全て聞きなさい、みたいな。不思議な感じでした。じゃあ厳しい人かといわれると、すごく優しい人なんです。でも、朝5時に仕事へ出て、夕方5時にはどんなに忙しくても桜坂へ飲みに行くんですよ。75歳で大病をやるまでは、この生活習慣で暮らしていたんです。

職場ではどうだったかというと、僕は20歳の時から作品活動を行っているのですが、それに対して父はまったくプレッシャーをかけてきたことはないんです。「とりあえず、作りたいものを作ってみなさい。」って。何かこれをこういう風にしなさい、城間はモチーフを大切にしているからこうしなさいといったことは全くないんです。まあ、高評価もしないんですけど(笑)。やってみたいことをやってみなさいってタイプ。仕事のことでアドバイスを求めても、「仕事のことは仕事が教えてくれる。だからまずは一つのことでいいから同じことを10年くらい続けてみなさい」みたいなスタンスの人でした。
矢嶋祖父の栄喜さんは父の栄順さんにとても厳しかった、という話を栄市さんは聞かされてきたと以前伺いましたが、その親子関係とはかなりギャップがあるということですよね。
栄市そうですね。祖父は父へすごくスパルタ式に教えていたみたいです。
矢嶋私もかなりスパルタ式にやられていました(笑)。私の父も祖父からかなりスパルタだったそうです。恐らく、栄喜さんと栄順さんのような。どちらかというと栄市さんのことが羨ましいな、という風に感じております。

栄順さんから紅型の教えや気づきがある中で、城間びんがた工房で一番大切にしていること、そしてその特徴はなんだと思いますか。
栄市紅型は300年近く作り方が変わっていないんです。ともすると、作業のように仕上げていくことも可能なんですよ。でもそれはお客様には絶対に伝わります。僕たちは色の濃度も地色の加減も、「どういう作品にしたい」という意思決定をしてから染めているので、一つ一つに対してきちんと向き合ってつくっています。僕は作業として関わらないように注意を払ってものづくりを行っています。具体的に言うと、職人ごとに年間2回ずつ面談を行っています。働いている方々が自分の持ち場で消化不良が起きないように、想いを込めてつくれるように、と思って。いろんなインクジェットプリンター等の、生産性が長けたものが世の中にたくさんある中で、僕たちが生き残っていくためには、そういう想いを込めて染める、といったことをどのように具体的に考えて実施していくかが大切だと考えています。
矢嶋私も何度か工房を伺わせていただきましたけれども、「隈取り」をする方はずっと「隈取り」をされていましたよね。「突き彫り」の方はずっと「突き彫り」で。あれって本当にずっと同じことをされているんですよね。
栄市隈取り40年の方が、「なんでうまくならんかねー」って言うんです。他の人から見ると、同じに見える工程でも、彼女にとっては一つ一つの反省と改善があるんです。僕はそこがすごいなと思っています。
矢嶋これが本当にすごいことで。ずっと同じ持ち場で仕事をされていること、そして作業にしてはならぬ、ということがとっても大切だと思っています。10年くらい前に栄順さんと、沖縄で芭蕉布をつくられている平良敏子さんがやまとの研修で対談されたんです。栄順さんも平良さんもおっしゃっていて印象的だったのは、「いいものが明日になったら作れますように」と思っている、と。その時はまだ私がやまとへ入社する前の話でして、沖縄に住んでいた時に、やまとの研修があるよ、と伺って一番後ろの方で聞かせていただきました。すごい世界が広がっているんだな、と思ったことを思い出しました。


ものづくりを通して沖縄の想いを守る

矢嶋今後城間びんがた工房を率いていく16代目として、今後栄市さんがやっていきたいものづくりというのはどのようなものをお考えでしょうか。
栄市僕は代替わりする時に、まず工房の理念を作ることから始めたんですね。戦争ですべて燃えてしまったので、 紅型という伝統工芸を残さなきゃいけないということは言わなくてもわかってはいたことなんです。あれから70年以上が経ち、この言葉にしてこなかった想いを改めて言語化しないと、間違った方向にいってしまうんじゃないかと思っていました。それでできたのが「ものづくりを通して沖縄の想いを守る」という言葉です。先代は終戦後2年目の避難生活の中で染物をつくっていますので、普通は食べるのが先なのに衣食住よりも家業を優先したというのが背景にあります。それくらいしてでも残さなきゃいけない大切なものだと思っています。当時の紅型はどれを見てもきれいなんです。戦後の大変な世の中を感じさせないようなとても素直で、沖縄の自然をそのまま表現したような配色がすごく好きです。それらを忘れてはいけないなという想いがあるんですよ。だからやっぱりそれらを含めて「ものづくりを通して沖縄の想いを守る」。そしてそれぞれ働いている人たちの個性や自分の想いも大切にしてくださいね、ということを毎朝工房の朝礼で言っています。
矢嶋私と栄市さんは年齢が近いのでお互い大変ですよねー、というやり取りをさせていただいているのですが、どんな組織もいろんな時代の移り変わりの中で変わっていかなきゃいけないことがある。それで栄市さんも大変苦労されているんだなあ、ということを、お話を伺いながら感じておりました。やまとも元々は理念を掲げていたのですが、じゃあ全員が同じ理念・ビジョン・ミッションを話せるかと言われれば、少しずれがあった気がしていました。今は自信を持って言える社員が少しでも増えているんじゃないかなと思っています。栄市さんの話からも学んでいきたいなと思います。

最後に、私たちやまとのような紅型の魅力を伝えていく者に、求めたいことをお聞かせいただきたいです。
栄市父はよく「真面目に仕事をしていたら誰かが見てくれているよ」ということをずっと言っていたんです。ものづくりって僕らの世界でしかないので、それを伝えてくださる人たちがいないといけないと思っています。なのでやまとさんのような、そういう方が一人でも多くいらっしゃることは、僕たちにとってとても心の支えになっています。頼りにしています。
矢嶋一人で行っていくことではありませんので、全員で紅型の魅力を伝えて未来に歩いていければと思います。今年沖縄県が日本に復帰してちょうど50周年です。「きもの」という伝統文化を生業とする私たちは“正しい歴史”をしっかり知ることが大切だと思っています。紅型というものづくりの歴史を真摯に受け止めて、その深さをしっかり理解し進んでいきたいですね。

【城間栄市 プロフィール 】

1977年 生まれ
2003年~2004年インドネシア・ジョグジャカルタにてバティックを学ぶ
2009年 第61回沖展奨励賞受賞・西部工芸展入選
2011年日本工芸会染色展入選・日本工芸本展入選・西部工芸展入選
2012年 第64回西部工芸展「福岡市長賞」
2015年 第62回日本工芸会新人賞受賞
2015年 9月日本工芸会正会員
2015年 12月「城間家の仕事 三代継承展」開催 於沖縄県立博物館・美術館
‘16年2月京都府にて開催
2018年 8月城間びんがた工房 代表継承
2022年 2月城間栄順米寿記念「紅(いろ)の衣」展開催 於沖縄県立博物館・美術館

1977年 生まれ
2003年~2004年インドネシア・ジョグジャカルタにてバティックを学ぶ
2009年 第61回沖展奨励賞受賞・西部工芸展入選
2011年日本工芸会染色展入選・日本工芸本展入選・西部工芸展入選
2012年 第64回西部工芸展「福岡市長賞」
2015年 第62回日本工芸会新人賞受賞
2015年 9月日本工芸会正会員
2015年 12月「城間家の仕事 三代継承展」開催 於沖縄県立博物館・美術館
‘16年2月京都府にて開催
2018年 8月城間びんがた工房 代表継承
2022年 2月城間栄順米寿記念「紅(いろ)の衣」展開催 於沖縄県立博物館・美術館