KIMONO by NADESHIKO
「きものドレス」 第2弾発売記念 keisuke kanda デザイナー 神田恵介 × やまと 代表取締役社長 矢嶋孝行 スペシャル対談

 

2020年の夏の終わり、<KIMONO by NADESHIKO>と<keisuke kanda>のコラボレーションで生まれた「きものドレス」。
この度、さらにパワーアップしての第二弾発売が決定いたしました。

きものドレスはブランドオリジナルのゆかた生地を使用。keisuke kandaらしい、リメイク調でドレスのようにギャザーをたっぷりとったシルエットは、様々なコーディネートで和装をより身近に感じることができます。
第二弾では新たなテキスタイルに加え、より普段使いしやすいショート丈タイプも誕生。

「きものドレスをきっかけに、きものに興味を持ってほしい」と語るのはkeisuke kandaのデザイナー・神田恵介さん。
神田さん(以下、神田)を“アニキ”と慕う、やまと 代表取締役社長・矢嶋孝行(以下、矢嶋)との対談を通じて、お二人のものづくりに対する想いをお伺いしました。

週に一度会っていた、二人の関係。

――まずは二人の出会いを教えてください。

矢嶋僕がずっと会いたくて周りに紹介してくれ、ってラブコールしていて…。
神田まだ孝行さんがやまとの社長になる前に複数人で飲んだのがきっかけでしたよね。あれから数年間、とても濃い付き合いをさせてもらっています。コロナ前の一時期、毎週飲みに行っていましたもんね。
矢嶋彼氏か!って感じですね(笑)。
神田孝行さんと話していると服づくりを始めた大学時代の自分のマインドを思い起こさせる感覚があるんです。熱くて純粋なマインド。あと、とてもクリエイター気質がある珍しい経営者だと思います。
矢嶋僕は恵介さんと話していると考え方をチャレンジャーに戻してもらえるような感じがします。皆川明さん(ミナ ペルホネン・デザイナー、やまと社外取締役)もなんですけど、こう引き戻されるというか…。
神田皆川さんを引き合いに出して頂き恐縮です…。僕にとって数少ない目標とする大先輩なので。皆川さんと同じ船に乗って挑戦できる孝行さんが羨ましいです。まさにチャレンジャーという感じで、孝行さんには仕事に対する熱量しか感じません(笑)。本当に熱い人だと思う。


――普段はどんな話を?

神田お互い根がまじめだから(笑)、仕事の話ばかりだけれど…。服や着物の未来についてとか。
矢嶋そうですね。こんな世の中にしたいよねーというか、理想を語っていますね。
神田その理想を実現していくにはやっぱり壁があって。孝行さんはいま相当苦労もされているから、どうにか答えを見つけて欲しいって気持ちです。いろんな葛藤もあると思うんだけど、それはすごく眩しくも感じる。僕自身、売れなくてもがいていた20代の頃が今の活動の支えになっていますし。そういう意味では、孝行さんは今まさにそんな苦悩や葛藤の中にいるという感じで、なんだか尊いんですよね。
矢嶋でもそれはきっと、創業家として現場の苦労を知らないままオーナーシップを取るべきではないと思っていたからだと思います。自分が社長になったけど「いいからやれ」とは言いたくない。だからそれは貫きたいですね。
神田社長なのに現場にも入り込み過ぎなくらい来てくれますよね(笑)。
矢嶋でも入りすぎは良くないですよね(笑)。
神田僕が関わらせていただいたプロジェクトでも、打ち合わせや撮影など現場には常にいらっしゃいますし、その場でジャッジもしてくれるから話が早い。普通の社長では、なかなかできないことだと思います。
矢嶋良くも悪くもあると思っていて。でもいつまでもやっていちゃいけないな、とは思っています。あるタイミングでは離れようとは思っています。
神田なるほど。その先も見据えての現場入りなら、社員の方々も尚更モチベーション持てますよね。
矢嶋ありがとうございます。

恩師との出会い、映像とファッションに明け暮れた大学生時代


矢嶋恵介さんは元々ファッションをやろうと思っていたんですか?
神田高校生までファッションには全く興味なくて、将来の夢とかもなかったんです。一応進学校に通ってはいたんですけど、三年生になるまでまともに勉強もしてなくて。帰宅部だったのに(笑)。
矢嶋えっ!?(笑)。でも文化服装学院の前は早稲田大学通われていましたよね?受験勉強はそこからですか?
神田そうです。三年の冬休みに代ゼミの冬期直前講習を受けて、そこで出会った英語の西谷昇二先生(代々木ゼミナール)にものすごい感銘を受けて。中高を通して、僕の十代の頃の恩師と呼べる唯一の人です。先生の考えに触れて、17年積み上げられてきたものが壊されて、あらたな自分と出会えたんですよね。そこから数ヶ月は猛勉強しました。人生で初めて、目標に向かって努力するという体験ができたんです。


――その後はどのような学生生活を送ったのでしょうか。

神田早稲田に入ると、バンドをやってたり自主制作で映画を撮ってたりする人とか、ファッションに命かけてる人とか、それまでの人生で出会えなかった人種と出会えて。彼らと友達になれたことで、僕も感化されて何か表現してみたいという気持ちになっていきました。ファッションが好きになり始めたのもこの頃ですね。当時、映画を一日一本はみてノートに取るということをして。映画を通して自分を探してたんでしょうね。映像系で有名なサークルにも入ってみたり。二年生の頃には、青山のシナリオの学校にも通い始めて、自主制作で映画を撮り始めました。でも撮ったはいいけど発表の場がなくて(笑)。リアクションも得られないまま、だんだんと映像への熱も冷めちゃって。
矢嶋でも映像はやりたかったんですもんね。
神田はい。映像は頭の片隅にはずっとありつつも、自分の熱はファッションに向けられるようになっていきました。三年にあがる頃には、服もたくさん買うようになってて、学内でファッション好きな人たちともどんどん繋がっていって。それまで全くモテなかったんですけど、着ている服をきっかけに女の子からも声を掛けられたりするようになって。そうなったら良くも悪くも勘違いするじゃないですか。もしも好きな女の子に服を作ってあげたなら、付き合えちゃうんじゃないか、って。この飛躍はおかしいんだけど(笑)。
矢嶋なんかそれ聞いたことあります(笑)
神田それで独学で服づくりを始めたんです。皆が就活を始める頃には僕は逆にミシンを買って、ずっと服を縫っていて。その時期に、早稲田の繊維研究会っていう服飾サークルの仲間から声をかけもらって早稲田のキャンパスにランウェイを作って大掛かりなファッションショーをやったんです。それが成功体験になって、そこからは自分で企画してクラブやライブハウスでショーをやるようになって、「あっ、ここで映像流せば良いかも!」って気づいたんです。
矢嶋あ、そこで繋がるんだ!映像とファッション。
神田そうなんですよ。当時、同年代で自分のブランドやってた人のショーで、服にあわせて音楽をつくる人はいても映像までつくる人は少なかったから。まさに映像とファッションに明け暮れた大学時代でしたね。


――早稲田卒業後は文化服装学院へ通われたんですよね。

神田はい。服作りの基礎からきちんと学んでみたいと思うようになったんですよね。それこそファッションショーに明け暮れた大学時代だったので、もっと型紙や縫い方、素材などの基本をやりたいって。大森伃佑子(スタイリスト、DOUBLE MAISON・ディレクター)さんに見つけて頂いたのもこの頃でした。大森さんがスタイリングを手掛ける雑誌の巻頭の特集ページで僕の服をメインで使ってくれたんです。その時はじめてファッションのプロフェッショナルが創り出すビジュアルの世界に触れて、僕の中で何かが変わりました。より一層洋服そのものと向き合いたいなと。そこからファッションショーをやることや映像つくることを封印したんです。
矢嶋じゃあ映像はかなりご無沙汰なんですね。
神田そうですね。そこからは展示会をベースにずっと活動してきたので、keisuke kandaのお客さんたちは僕がかつて映像をやっていたことを知らない人たちがほとんどだったと思います。最近になって、本当に久しぶりに映像でファッションを描くことを再開し始めた感じですね。


――神田さんが監督をされた銀杏BOYZの「GOD SAVE THE わーるど」のミュージックビデオでも、きものドレスを素敵なコーディネートでご着用いただきました

神田元々きものドレスはTikTokやYouTubeなどの映像での発信に使ってもらいたいという想いがあったので。くるくる回ったり走ったり踊ったり…今回のMVのプロットを考えていた時に、衣装としてきものドレスがそこにぴたっとはまりましたね。
矢嶋ありがとうございます!


――映像を再開するきっかけはあったのでしょうか。

神田きっかけはコロナですね。しばらく展示会もできなくなったりして、時間もできたことが大きかったと思います。
矢嶋そうだ、2020年の4月に店閉めましたもんね。
神田はい。一番最初の緊急事態宣言の発令直後に決断しました。あの判断は今振り返ってみても本当に正しかったと思っています。何か新しいことに挑戦する為の前向きなクローズでした。緊急事態下でお店の営業は難しくても、映像を撮ることはできるから。

くるくる踊ってもらいたい、きものドレスの誕生



――きものドレスはいつから着手していたのですか。

神田コロナになる前でしたよね。当初は長襦袢がいいんじゃないか、って話していて。外に着ていける長襦袢みたいなコンセプトだったと思います。
矢嶋2019年11月くらいかな。この形になる前はいろいろありましたよね。この形になるまでが長かった。悩みに悩んで、一回振り出しに戻そう、ってなったんですよね。フラットにいこう、って。そもそもきものの形ってどこまで変えていいんだっけ、って。
神田keisuke kandaはリメイクブランドなので、その強みを生かして、きもののリメイクで変えていくのはどうでしょうと提案しました。それでKIMONO by NADESHIKOのゆかたをベースにリメイクで作ってみることに。




――どのように形を作っていったのでしょうか。

神田そのきものを女の子に着てもらって、くるくる回ったり踊ってもらいたい、っていうのがまずありました。きものではありえない、スカートがふわっと広がる世界線。
矢嶋わいわいがやがや話しているうちに、一回作ってみようよってなってできたのが「きものドレス」の原型でしたね。きものドレスのような商品をきっかけに、和装に興味を持っていただきたいと思っていて。きものをまずは暮らしに取り入れてもらう。そのためには、そのままのきものの形じゃなくてもいいんだ、って話をしましたよね。
神田僕は自分のブランドのお客さんたちに対していつも話すんですけど、彼女たちの身の丈にあった似合う服をつくりたいわけじゃないということ。着る人が挑戦できるような服をつくりたいといつも思っています。アパレル業界のビジネスって、マーケティングが主軸だけど、僕はそれが嫌で。マーケティングをするんじゃなくて、こういった新しい世界もあるよっていうのを見せて、お客さんをそこに巻き込んでいくというのをずっとやってきました。今の若い人たちは普段きものを着ていないからこそ、新しい景色を見せることで挑戦してみたいと思わせることができれば。それはkeisuke kandaというブランドのデザインの真髄とも合致していたと言えますし。
矢嶋あと「デザインは問題解決のためにあると思っている」という話を恵介さんにさせていただいたんです。まだきものを着たことがない人たちがたくさんいるから、きものを着て欲しいからデザインの力で解決してほしい、とお願いしました。それに対して「これが俺の答えだ!」って出していただいたのがきものドレス。これだったら着てみたいかも、と思う課題を解決するためにデザインの力が必要だと思ったんです。
神田きものドレスのデザインで問題解決できればこれ以上のことはないですね。孝行さんがデザインの力を信じてくれているからこそ、生まれた形だと思いますし。そしてあのきものドレスが持ってる可能性についても話しておきたいです。今はなんでもスマホで発信できる時代、女の子たちが自分を表現し発信していく上で、武器になるものをつくりたいんですよね。武器を渡して応援するみたいな。その点きものってすごく可能性があると思って。他との差別化としても申し分ないですし。「きものの伝統を守りたい」というより、「きものを若い世代に武器として渡し‪て応援したい」という感覚でご一緒できたらと思っているんです。

非効率なものから生まれる“変化球”

――きものドレスの形は発信の際にどう見えるか、を大事にしていたということでしょうか

神田そうですね。きものとしては本来壊しちゃいけないものかもしれないけど、きものの裾を広げちゃうことで、良い意味での違和感が魅力となりインスタやTikTokで「使いたい」と思ってもらいたかった。普通のきものだとなかなか難しい、走れる、踊れるは強く意識しました。動画にあげた時にとても強度があると思ったんです。
矢嶋きものには裾が広がっていちゃいけないという概念があるんですよね。でもそれって反物の形を最大限に生かし、効率よく仕立てた結果。それはそれでいいんだけど…そもそもファッションは非効率だと思っていて、効率を追い求めたら、行き着くのはファストファッションだと思う。
神田その通り。いかに無駄をやるか。その意味ではきものドレスの異常なまでのスカート分量は非効率で無駄でしかない(笑)。あれこそ、まさにファッションだと思います。
矢嶋あと、恵介さんがアウトドアキモノも良いって言ってくれたことも大きかった気がする。あの発想いいよね、って。でもアウトドアキモノは、なかなか女性が手に取りづらいっていう現状もあって。だからこそきものドレスは帯をあえて作らないでおこう、って話になったんですよね。自分の持っているアイテムで自由に着たらいいよね、って。既存のきもののことを考えながら、変化球を投げていかないと変わらないので、その一つとしてはすごく強力なものをいただいたな、と思っています。
神田きものドレスやアウトドアキモノのような変化球って、もう変化球じゃない時代だと思っているんですよ。むしろこっちがストレートというか。
矢嶋変化球が軸な時代なのかもしれないですね。多様性が大切。




――“答えのない「きものドレス」”としているのは、多様性を意識していてのことなのでしょうか

神田そもそも「きものの着方」が多様性に根ざしていますよね。洋服ってボタンだから左右を合わせる位置がビシっと決まっちゃうんですよね。西洋合理主義というか。でもきものって自由なんですよね。洋服はサイズがS、M、Lと細かくあるけど、きものにはないですし。きものって実は多様性の時代にあっているんじゃないかな、って密かに思っていて。
矢嶋僕はきものって実は「ユニバーサルデザイン」だと思っていて。立ったまま足腰を曲げずに着用することができる。つまり足腰が弱った人に優しい。そこに突破口があると感じていますね。
神田なるほど。ユニバーサルデザインで言えば、男がゆかたを着ると、スカートってこんなにスースーするのかってなるじゃないですか(笑)。風通しもよくて、すごく機能的だな、って。あれはくせになるかも。メンズきものの革命は、これから間違いなく起こせそうですよね。
矢嶋女性の多くはきものってこういうもの、が知らないうちにインプットされている。男性は女性に比べてそれがない。だからこそメンズマーケットの方が広げやすかった。それは彼らにとって抵抗がないからだと思っていて。いつか女性のおはしょりの呪縛も解きたいと思っています。

きものドレスが目指す先

――きものドレスはどういう風に着こなしてほしいと思っていますか

神田自由に着てもらうのが一番ですけど、そうだな、たとえば中にTシャツとか大きな丸衿のブラウスとか着たらかわいいと思いますね。
矢嶋MVでのんちゃんが着ていてかわいかったですよね。
神田あと野外音楽フェスとかでも着てほしいですよね。女の子がバンドTシャツの上にきものドレスを羽織ってキャップを被るのとかいいなあ。
矢嶋僕たち日本人の面白いところって、海外から入ってきた文化を自分たちなりにアップデートする。アレンジして海外に発信して「日本すごいじゃん」って。でも自分たちの文化をアップデートすることが苦手で。「文化は保存するもの」という認識があるんですよね。元々あったものは触ってはならぬ、みたいな。文化を守る、を保存だとみんな思っている。でも僕は文化を守ることはアップデートだと思っています。
神田アップデートは得意分野なので、一緒に仕掛けていきたいですね。
矢嶋ぜひ、仕掛けたいですね。
神田高校を卒業した女の子たちが敢えてJK時代の制服を着てディズニーに行ってインスタに上げたりするけど、きものやゆかただってあの役割を担えるんじゃないかな、って思っています。
矢嶋これで終わらせるつもりはないので。
神田そうですね。これから始まるんだと思います。

きものドレス 商品ラインナップ


ー ギャザータイプ ー








ー フレアタイプ ー








ー フレアショート丈 ー