<やまと>
ミンサー帯 つくり手インタビュー

五月四日は「ミンサー」の日

ミンサー・八重山上布
作り手インタビュー

松竹 喜生子 さん
/ S33年1月10日生まれ

ミンサー・八重山上布 作り手インタビュー

沖縄県石垣市白保に染織工房「なわた」を構えるのは、エネルギーに満ち溢れた松竹喜生子さん。天然染料を100%使用した手織りのミンサー帯、沖縄に自生する苧麻から紡いだ糸で織る涼しげな風合いが魅力の八重山上布、二刀流の作り手さんです。明朗・快活という言葉がとてもよく似合う、周りの人を前向きにさせてしまう松竹さんの魅力について、深掘りしていきます。

/ミンサーを始めたきっかけは?

故郷である石垣島は、「芸能の島」と言われるほど伝統的な芸能・工芸が多く、ミンサー織もその一つでした。地元のおばあたちが織っているのは何気なく見ていましたが、高校生の時に地元から離れてその魅力に気がついたんです。この島にはそれぞれの作り手の感性が活かせる色が揃っていて、伝統がある。自分も島に貢献したいと思い、故郷の白保に戻ってきて織りを始めました。

/幼少期はどのような子でしたか?

今もですが、喋ったら止まらない子でした。母にはいつも「喋るな、静かにしてね」と言われるくらいで、バスに乗ったら知らないおばあと喋ったりしていたそうです。「人見知り」がわからなくて、友達も多かったです。あと、美術が昔から大好きで、漫画家になりたいと思っていました。友達から依頼されて、当時流行っていた芸能人のブロマイドの絵を描いたりしていました。

/日々のルーティーンのようなものはありますか?

毎朝5時に起きて、新聞配達をしています。自宅近辺の79軒の住宅に、1時間かけて配達しています。元々息子たちがやっていたのですが、怪我や体調が悪い時に手伝っていて、彼らの就職を機に「私がやってもいい?」とお願いしました。朝から体を動かせるので、一気にエンジンがかかります。夜は23時ごろに寝ます。5時間半眠れたら十分で、朝の星の動きで、季節の移ろいを感じています。

/いつもパワフルな松竹さんですが、そのエネルギーの源は?

とにかく今の仕事が大好き。全ての時間をそこに注ぎ込みたいくらいです。ものづくりが好きで、織りが好きで、裕福ではなかったけど苦しいと思ったことはないです。仕事を与えてもらって、どんなに難しく感じることでも、それを「できる自分を見てみたい」んです。目標に向かっている自分も好きだし、結果的にできたら楽しいし、できなかった時はその悔しさが原動力になります。一種のスポーツ魂に似ているのかなと思うのですが、活躍しているスポーツ選手を見ると、とても共感して胸が熱くなります。

/本当に好きなお仕事なのですね。

「仕事=趣味=好きなこと」です。好きなことができてありがたいと思っています。私、できないですって絶対言わないんです。「できる?」と聞かれたら、「できないわけない!やります」と答えるんです。技術はみんな一緒だと思っていて、できるのに何でしないの?って思うからです。55歳でこの工房を開きましたが、その時も銀行から融資をもらって、自分で挑戦しました。そこでついて来てくれる仲間や取引先がいて、今仕事をさせてもらっています。

/ミンサーの未来への思いはありますか?

古くから続く伝統ある織物なので、伝統ということを大事に伝えていってほしいです。その中で、織る人の感性で変わっていく部分があるのも魅力の一つです。分業ではなく、全て一人の人が担っているからこそ、その人の人柄が織物に見えてくるような、人が見えるものづくりだと思っています。この先どう変わっていくかが楽しみですし、子供たちには「自分の頃はこうだった」というのを伝えられたらと思います。

/着てくださる方へ伝えたいことはありますか?

作り手に思いを寄せてくれたらそれだけで十分です。私は手作りのものが大好きなので、そのものを見るたびに「誰がどこで作ったんだろう」「どういう人が作ったんだろう」と、ものづくりにかけた時間や思いを感じながら、考えたりしています。そう思うことで、作ってくれた人たちと繋がれる気がするからです。私のように、少しでも作り手のことを考えてくれたら嬉しいです。

竹富ミンサー
作り手インタビュー

島仲 由美子 さん
/ S23年1月23日生まれ

竹富ミンサー 作り手インタビュー

石垣島からフェリーで15分ほどの距離に位置する「竹富島」は、美しい自然に囲まれた観光地として名高いですが、伝統的な「ミンサー」のさんちでもあります。その島で暮らす島仲由美子さんは、竹富島、西表島を有する「竹富町織物事業協同組合」の理事長をされており、50年近くミンサーの織り手さんとしても活躍されています。優しい雰囲気で謙虚な島仲さんに、島とミンサーの魅力についてお聞きしました。

/竹富といえば憧れの観光地で有名ですよね。

竹富島は何もない所ではありますが、島全体が伝統的建造物群保存地区に選定されています。島にある赤瓦の家々には白砂の小路が続き、サンゴ礁の石垣には年中プーゲンビリアやハイビスカスなどの花が咲いています。また、一年を通して島の伝統行事や祭事が豊富で、島に住む私たちはそれを大事に守り受け継いでいます。豊かな人々の暮らしがあるのは、「うつぐみ」の精神で協力し合っているからだと思います。

/幼少期はどんな子でしたか?

あまり喋る方ではない、人前に出るのが苦手でした。5人兄弟だったので、家族みんなで協力しながら生活していました。竹富島では芭蕉布も織られていて、祖母がその糸を紡いでいたので、よく一緒に芭蕉の木を切りに行っていました。幼い頃から織物の手伝いをしていて、織りのしごとは親しみのあるものでした。

/織物を始めたきっかけは何ですか?

元々小さい頃から、家族が機織りをしていたのでとても身近にありました。私は子供が3人いるのですが、末っ子が保育園に行くタイミングで、「機織りでもやろうかな」と思ったのが始まりです。竹富は小さい島ですが、昔はみんな機織りをしていて、道を歩けば機を織る音が聞こえてくるくらいでした。私の祖母や母も機織りをしていたので、自然とその選択になりましたね。

/ミンサーのものづくりで好きなところは何ですか?

全部です!竹富には自然の恵みがいっぱいあり、その分色々な色が染められるので好きですし、織りも頭で思い描きながら織っていくという面白さがあります。でもなかなか思い通りに織れなかったりして、「これで満足!」っていうのが全然ないんです。だからこそ「次はこうしていこう!」と試行錯誤して、その時間がとても楽しくて。特に私は緯糸にこだわっていて、経糸を一色にしても、緯糸は織っていく中で変化をつけたくなるんです。一色で織る方が楽なのは分かっていても、色を入れて遊びたくなってしまうんですよね。

/草木染めの中で、好きな染料はありますか?

特に好きなのは、やっぱり藍ですね。私たちは八重山木藍を栽培していて、それを収穫し、藍甕で育てています。藍は日によって状態も変わり、それが色にも影響します。なかなか手間がかかるのですが、その分愛着が湧くんです。今は娘も染めをやってくれているので、私はその前段階の作業をするなど、親子一緒にものづくりをしています。西表島では紅露(クール)という茶色い染料があって、そこでしか染められない色というのも魅力です。

/着る人への思いはありますか?

竹富では島の行事でみんな身につけているけど、それ以外の人に着てもらうのは心配な部分もあります。気に入ってもらえるか、締め心地はどうか…、色々気になってしまいます。心配性な性格なので…。でもミンサーをつけてくれている人を見かけると、「竹富ミンサーだ!」とやっぱり嬉しくなりますね。

/今後、ミンサーはどうなってほしいですか?

竹富ミンサーは、西表島の東部と西部、竹富島の3地区で織られています。近年織る人が減っているので、若い人が1人でも2人でも育ってくれたら嬉しいです。竹富島は織り手が少なく、西表島では若い人たちが本当によく頑張ってくれているので、私もとても支えられているんです。本土から移住して組合に入ってくれた人もいて、一緒にものづくりができています。竹富島、西表島それぞれの自然の恵みを色にして、その人の感性で織っていく。そしてそれに魅力を感じてくれた人たちがミンサーを届けてくれて、着てくれることに感謝しています。だからこそ、この火を絶やさないでほしいと切に願っています。

お二人とも、ありがとうございました