ハタチのわたし Interview

井上 聡(Satoru Inoue)(写真右)井上 清史(Kiyoshi Inoue)(写真左)

THE INOUE BROTHERS

THE INOUE BROTHERS

THE INOUE BROTHERS

兄・聡(さとる)1978年5月24日生まれ。
弟・清史(きよし)、1980年12月14日生まれ。
2人はデンマーク・コペンハーゲンに生まれ育ち、聡さんはコペンハーゲンを拠点にグラフィックデザイナーとして、清史さんはロンドンを拠点にヘアデザイナーとしてキャリアを積んできました。2004年にはアートスタジオ<THE INOUE BROTHERS…/ザ・イノウエブラザーズ>を設立。「ファッションの力で世界を変える」という想いのもと、活動の中で目の当たりにした貧困や児童労働などの社会課題にクリエイティブの力で取り組んでいます。やまととは、2022年より<Y. & SONS>とのコラボレーションでアルパカの生地を用いたきものと羽織を製作しています。

<THE INOUE BROTHERS…>としてグローバルに活躍される2人に、成人の日に寄せて「ハタチの頃に何を感じ、何を思ったのか」について、プライベートでも交流のある株式会社やまと代表取締役社長・矢嶋孝行(写真中央)がインタビュー。インタビューの最後には、ハタチを迎えるみなさんへのメッセージもいただきました。

幼少期のコンプレックスを
自信に変えたハタチのころ

矢嶋
まずは子供の頃からハタチの頃「何をやっていたのか」、「何を思っていたか」について教えてください。
実は僕だけまわりより1年早く小学校に入学したんだよね。デンマークは7歳から始まるのに親が「日本は6歳からだから、聡は6歳から入らないと」って。だから、「外国人の子」と同時に、みんなよりいつも1つ年下だったので最初からもう大変だった。
矢嶋
デンマークで生まれ育つ中で、自分たちが「日本人なのかどうか」ということを意識するのは何歳くらいからでした?
小学生の時が1番意識し始めるんだよ、そういうのって。「俺は変なんだ」って思ってた。目が青くて、名前はピーターで、他のデンマーク人と同じように見られたかった。でも、ハタチくらいになってくると「いや、俺は特別なんだ」って。それ(違い)を自分のスタイル・武器にもできるから、かえって周りに絶対に負けたくないっていうモチベーションに変わった。
あと、僕が15歳、清史が12歳の時、父親が亡くなりシングルマザーの家庭になったから、ある意味でちょっと早めに大人の責任を感じていた。今振り返ると、全然大人じゃなかったけど、自分の中ではもう一人前の男だと思ってた。でもそう思っていたことは、僕の中では決して悪いことではなくて、かえって、これからその若さ故のフリーマインドや勇気をどれだけキープできるのかっていうのが大事になってくる。当時は悩み事も今とは違うことだったしね。家庭を持つと自分だけでなく、他の人の責任も待たないといけないけど、ハタチの頃はほぼ自分のことだけで、自分のエゴとか欲とかある意味では小さな悩みだったね。だからこそ、勇気がある時で1番ガツガツ前に進んで行ったのが15歳から20歳の時期。その分、1番失敗をたくさんしたし、失敗を積んで大丈夫な時期だと思う。今同じ失敗をしたら大変なことになるけど、あの時だったら結構簡単に解決できるから、たくさん失敗して良かったなと思う。
矢嶋
清史さんもデンマークで生まれ育って聡さんのようにコンプレックスが自信に切り替わった時期がありましたか?
清史
聡と年が2歳違うので、その2年の間だけでデンマークの社会も、だいぶ差別をしない社会になったと思うよね。でももちろん、学校で先生に「あなたの日本語の名前を発音できない」って言われてしまうような環境ではあったけど、うちの親が「日本人なんだ」ってことに誇りを持つように育ててくれたから、それは自分のアイデンティティーを形にしていくときにすごいメリットがあったよね。
矢嶋
どういうメリットですか?
清史
聡が言っていたように「違い」を活かせるということ。18歳の頃、僕が美容の道に進むためロンドンに行った時、そういったコミュニティーの中で、デンマークとか日本がめちゃくちゃ注目されていたんだよね。だから丁度両方の感覚を持っていることが「未来の人だ」みたいに思われてすごい得だった。
矢嶋
清史さんがロンドンに行った理由は?美容の道に行こうと思った理由も教えてください。
清史
本当は最初、ファッションがやりたかったんだけど、ちょうどその時(1990年代)はファッション業界のスキャンダルが多い時で※。そういうのがあったから、インターンもファッションのお店に入ったり色々やってみたりしたけど、当時のダークで正しくないイメージにあまり納得がいかず、ハートが繋がらなかった。それで、人間は素っ裸でも髪の毛があるから、髪の毛が1番ピュアじゃないかって思って、お母さんの知り合いに紹介してもらい、美容の世界の中でもトップだったヴィダル・サスーンに行くことになったのがちょうど18歳の時だった。※それまで文化として捉えられていた「ファッション」が一気に消費物として扱われるようになり、それに伴い、ファッションモデルに対しての不当な対応や児童労働などの事件が多く起こり問題となった。

リアルな体験をたくさん積むこと

矢嶋
清史さんがロンドンに行った時、聡さんは何をされていましたか?
その時僕は20歳。1年早く入学していたので18歳の時には高校をもう卒業して、デンマークのデザイン学校に入って、その後19歳の時に清史のクラスメイトのおじさんが社長をしていたハンガリー・ブタペストの広告代理店にインターンで入った。そこですぐにデザイナーになって、アートディレクターに。急に給料もらえるから、ブランドものだのなんだのって、プレイボーイみたいな感じで、1番チャラい時期だったね。
矢嶋
そういう経験するには早いですね。大人ですよね。
早い。ちょっと早すぎた。でもそれがあったからこそ、若い年齢で人生のことを考えてた。普通だともう少し年齢重ねてから経験することかと思うけど、ある意味では早く経験したことがラッキーだった。
あと、父親を早くに亡くしたからね。本当にあの時は辛かったけど今考えてみるとその経験は本当に財産だった。ちょうど今、父親が亡くなった44の歳で、その時は思わなかったけど、今考えると若かったね。
清史
自分の子供を思うとあんな暗い思いさせたくない。かなりの衝撃的な出来事で、そこで一気に違う人生になった。そういうこともあって早くに大人の感覚を持っていたから、僕たち両方とも20歳の頃って超仕事してた。仕事を通して自分を示すのがドライブ(生きがい)だったよね。
そうだよね。家庭のお金に頼れないっていうのもあったし。でもデンマークでは18歳、19歳で家を出るっていうのが僕らの世代では結構普通で、当時は自分や周りの友達が親に「早く出たほうがいいんじゃない」って言われるのを不思議に思っていたけど、今自分の娘が17歳になって、絶対に出たほうがいいと思う。リアルな世界に出ないと気づかないこと、学べないこといっぱいあるから。
清史
あと僕たちの場合は、大学に行かなかったことが良かったんだと思う。クリエイティブな仕事をするためには、やっぱり実際にやらないと学べない。ハタチの頃はスタイリストとして活躍して、お客さんをつけて、自分の実力を示す時期だった。そこで思いっきり頑張って、次のレベルアップとしてアートディレクターになったからこの時期って1番大事だった。
矢嶋
その頃、苦しかったことはありましたか?
清史
聡も言ってたけど、あんまり悩みがなかった。もう本当に目の前のことを勢いでやってた。
ハングリー精神半端なかったもんな俺たち。

今のハタチ世代は
とても複雑な環境を生きている

ーー今の20歳の人たちは、何か悩んでいるように見えますね。

正直自分が今もしハタチだったら、SNSとかは自分の個性を活かすための壁になっている気がする。自分と周りを意識しすぎちゃうから。
あともう1つ思うのは、僕たちも、もちろんハタチのころ、エコやサステナビリティを意識し始めてたかもしれないけど、まだ「将来は頑張れば成功できるんだぜ」って思ってた。無意識だったからこそ、ハングリー精神で自分のために戦えたけど、今のハタチにとって気候変動などの対策のタイムリミットはすぐ先の未来。もう諦めて遊びまくるか、真剣に社会を変えていくか、どっちかになっちゃうと思うんだ。
清史
将来の地球の状況はどうなるかって全然意識してなかった。今はそれだけじゃない。
今ヨーロッパでは、みんな意識が高いから、若い子たちの中で気候変動の危機を感じて、鬱になる子が多い。だから、そのセラピーが結構話題になってる。確かにそうしないと、俺でも落ち込んでたかもしれない。「もう、どうでもいいや」って。
清史
あと僕の友達で、ちょうど世代が1回り下の30代前後の人たちは、「もう子供は絶対産まない」って言い始めている人たちもいる。自分は家族を見てすごい幸せを感じるし、僕たちの頃は本当それを求めてた。でも、10年違うだけでその真逆なの。絶対この世の中には子供を産んではならないって、無責任になるからって。
矢嶋
日本はまだそこまでの危機意識はないかもしれないですね。
日本はないね。でも、日本のいいところは意識し始めた瞬間からが早い。日本人は「日本遅れてるよね」とか「日本ダメだよね」とか下げている傾向性がある。でも、日本を外から見ている僕たちからすると、気づくまでちょっと時間かかるかもしれないけど、気づいたら「みんなこっちに動こうぜ」てなって、みんなそっちに動くことができる。西洋は、エゴとインディヴィジュアリズムが強いから中々そうは行かない。東日本大震災の時のようにみんなで団体行動できるっていうのはとってもいいこと。自由な時にはちょっと余計なことかもしれないけど、今は環境問題とか危ない時期になってきていて、かえってポジティブに働くと思う。
清史
環境に対して意識は高いし、ちゃんと教育を受けているけど、ヨーロッパはインディビジュアリズムが強すぎて、団体としてどう行動しないといけないんだっていうやり方に関してあんまり掴んでない。
矢嶋
なるほど。日本人はその協調性に関していいと思ってないですからね。別に普通だったり、逆にマイナスに思ってます。
でも世界はそれを見て大感激してる。リスペクトしてる。

ハタチを迎える皆さんに伝えたいこと

矢嶋
2人は日本や他の国に距離を感じてないように見えるのですが、日本人、特に若い人たちはコロナもあり、日本から出なくなり距離を感じている人もいると思います。だからこそ、日本の良さも気づけないとしたら海外に出た方がいいと思いますか?
最近僕たちも仕事で専門学校とかで講義をする機会があるんだけど、ハタチにこれからなる生徒たちに最終的にいつも伝えているメッセージはまず「海外に行くこと」。海外がいいから海外に行くのではなく、海外に行かないと日本のいいところがわかんないし、悪いところもわかんない。海外に出れば全然違う日本が見られる。
もう1つは、「英語を学ぶこと」。今の日本の1番の壁になってるのが言語。前はアメリカやヨーロッパに憧れている日本だったんだけど、今は逆で海外が日本に憧れてる。でも日本人は英語をあまり喋れないから「どこがおすすめ」とか「どこ行った方がいい」とかのコミュニケーションがとれなくて、日本のいいところを海外に伝えられない。外国人たちは自分達で見た日本しか経験できないから観光客はもう見て観察してるだけなの。でも、英語ができると、違う観光ができて、ちゃんとそこ(日本)に入っていけるじゃん。だから本当にペラペラにならなくてもいい、少しだけでもいいと思うから「英語を学ぶこと」。
それと、「失敗を怖がらない。失敗するのは怖くない。」この3つは1番日本のハタチに伝えたい。このハタチの世代が日本の社会を変えないと、日本はめっちゃ遅れちゃう。
矢嶋
それすごく大事ですね。聡さんが今おっしゃったのって、すごい流暢に英語喋れるかどうかではなくてコミュニケーションを取ろうという覚悟が大事ということですよね。逆に英語ペラペラに喋れるのに行かない人もいるじゃないですか。間違うことを恥ずかしがらずに行くことが大切ですよね。
下手でもいいじゃん。間違ってもいいじゃん。結果的にはそれでオッケーじゃん。挑戦することで周りがリスペクトしてくれるし。
矢嶋
清史さんからも日本人の若者に向けてぜひお願いします。
清史
聡がさっき言ったように、その3つのポイントはもうマストでしょ。
あとは、「悩むな」っていうのは簡単だけどさ、やっぱり悩みが自分の時とは違うね。ほんと、そこがメインのポイントで、僕たちの場合悩みはほんとうに無かった。だから、僕たちも若者に関してもっともっと理解したい。若者をジャッジするんじゃなくて、若者を見て、どういう立場にいるのか勉強してもっともっと努力しないといけないなって。
今の大人たちが、若い子達を「何もわかってないでしょ」っていう見方をやっちゃいけないな。むしろハタチの子達から学べることもたくさんあると思う。
矢嶋
僕もそれすごい大事に思っています。この取り組みの中で、私たちは「ようこそ、大人へ。」という言葉を用意しているんです。僕がハタチで成人式に出た時に、偉い人たちが「大人だったらこうしなさい」って言っていることに違和感を感じたんです。コロナが起きて、成人式がどんどんストップしていく中で「何のために成人の日があるんだろう」って考えたんですよね。「もう僕たち大人が今までたくさん失敗してきたから今の地球があって、そしたらもう僕たちの代では解決できない。それで、一緒に解決する仲間が欲しい。」そしたら、「ようこそ、大人へ。」じゃないのかっていうのが会社内で話し合ったものなんですよ。なので、今回だけでは伝えられないんですけど、きもの屋として成人の日に対しての想いとしてあるのは、「俺たち大人はたくさん失敗してきたから、一緒に変えてほしいんだよね」っていうことなんです。
清史
ちゃんと僕たちはハタチの人たちを信頼してるよって言いたいよね。
矢嶋
失敗しても大丈夫だからフォローするからって意味を込めてよく「失敗してもハグだから」って言ってるんですよ。俺たちだけで解決できない問題山積みになってしまったから、「今のハタチ、一緒にやろう、一緒に笑おう」って伝えたいですね。
それすごいいいメッセージ。
矢嶋
最後に、今回やまとからのハタチの皆さんへ「『いいな』は、声に出そう。」というメッセージを用意しているんです。もしかすると、自分の思いを言葉にするのを億劫に感じたり、怖いと感じたりっていうのがあると思っていて。世界を舞台に活躍されている2人だからこその経験で「言葉にすること」の大切さをメッセージとしていただきたいです。
日本の昔の言葉で「沈黙は金」ってあるけど僕は「沈黙は敗北」と思っている。言ってしまって後悔することもあるんだけど、その経験は言ったからこそ得られるもので、言わなきゃ後悔もできない。だから、最終的には言った方がいいし、言い切ることが大切。このことを頑張ってほしいのが特に女性だと思っている。僕は女性のリーダーっていうのが、これからの日本の社会にとってとても重要になってくると思う。今の若い子たちは、もしかすると俺たち世代と違って、ジェンダーとか、女性・男性の不公平とか、そういうのを昔みたいに意識していないかもしれない。だから今の男性は、女性のリーダーを一緒にフォローするのが前より簡単になってきてると思う。だから、「言い切ること」、「自分の個性をちゃんと発言すること」、「自分の意見をちゃんと言うこと」を1番怖がっちゃいけないのが女性。同時に、今の日本の社会だったら1番それが女性として難しい。だから、ダブルに重要になってくると思うんだよね。周りからバッシングや反発も受けると思うんだけど、その覚悟をした上で、それを燃料として使って女性が前に出てほしい。
清史
僕もちょうど聡が言う前にジェンダーのことを思ってて。これまでの社会のあり方から考え方を変えないと。女性は女性として自信をもって、男性もそれをちゃん自覚して女性をフォローするんだっていう。だってやっぱり家族もそうじゃん。もうね、マザーがボスって1番わかるじゃん。自分の娘を見ても超かっこいいもん。だから、女性は自分が女性だからかっこいいんだって自覚して前に出ないといけない。
矢嶋
世界で活動される2人だからこその広い視点ですね。熱いメッセージをありがとうございました!