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40歳 成人の日

40歳へのInterview

Otsuka Tomoyuki

大塚 朝之猿田彦珈琲代表

国内15店舗、台湾に4店舗を展開する猿田彦珈琲の大塚朝之さん。大きな企業とのコラボレーションも積極的に手掛け、その名前は様々な場所で目にすることができます。だが、順調に展開している背景には、大塚さん自身、精神的な苦悩を乗り越えてきた経験が生きているといいます。第3のコーヒー(サードウェーブ)以降、華やかな世界に見えるコーヒー業界への思いと、ピュアであることの大切さを話して頂きました。

若い人たちに思ったり願ったりするのは、ピュアな部分を大事にできるかどうか

悩み苦しんだ役者時代

―― 20歳の頃は何をしていましたか?

法政大学の大学生でしたが、ノイローゼで灰色の日々でした。当時役者を志していて、週に3回はオーディションに行って全部落ちるということが続いていました。周りの大学生が就活を通して味わう面接の精神的な苦しさを、それこそ高校生の頃から先に経験してきた感じです。俳優は自分を商品として売り込みに行くので、いまこれを言ったらこの人は何を思うだろうかとか、損か得かとか顔色を伺っていて、アイデンティティや自分の存在意義を狭い意味で真面目に考えすぎていましたね。

―― オーディションに落ちてしまう理由は、ご自身ではどう考えていましたか?

とにかく自信がなくてやりきれてなかった。オーディションに行っても、監督のためか、プロデューサーのためか、お客さんのためか、マネージャーのためか、だれのために芝居をするのかもわからなくなってきていました。目の前に集中できず、何をやればいいかという優先順位も上手につけられなくなっていました。

―― それが審査する人たちにも見えてしまっていた?

そうだと思います。自滅してしまっていましたね。いまなら非難されても余裕ですけど、昔はいちいち何か言われるだけで過剰に傷ついてしまっていました。今はいい意味でいい加減になったんだと思います。

―― 当時の自信のない自分を見て、こうしたほうが良かったとか思いますか?

めっちゃ思います。一方であの数年間を過ごしたことで、当時の悩みが意味のない悩みだと自分でよく気づけたのはよかった。もし振り返って自分に言うとしたら、「苦しみなさい。いずれそれが勝手にプラスになるから」ですかね。大学は哲学科だったんですが、その苦しい時期のなか、担当の先生のおかげもあって、卒論をやりきることができたんですね。卒論で哲学を集中して勉強したことで、悩みや苦しさ、いろんな事が解決していきました。哲学科はたまたま選びましたが、何か運命のようなものを感じます。そんな状況だったので、成人式も行ってないんです。行けませんでした。

―― 行けないというのは?

気持ち的にも行けないし、皆の前に姿を出すのも嫌だった。あと、幼稚園から私立に行っていたので地元にあんまり友達がいないんですよ。

日常と非日常のちょうど中間、いい感じの逃げ場所みたいのが必要だった

―― 先程、哲学が苦しさから救ってくれたと仰っていましたが、どういった面でそれを感じましたか?

「直感」の意味をおぼろげながら理解をすることができ、気持ちの整理ができたところです。例えば、飲み会に行きました。10人ぐらい騒いでます。以前はそこに後から入っていくのが辛かった。入っても皆が居心地よくなるためにはどうすればいいかわからなくて。今ではできるようになったというか、ただそこにりゃいいんだみたいな。役者も同じようにそこにいればよかったんです。でも当時はできなかった。なにかしないと不安になっちゃっていました。

―― いい加減でいいんだと気付いたきっかけは何だったのでしょう?

卒論ですね。もう一つ、ダメになってしまいそうだった大学3年生の頃、スタバに行くようになりました。そこで、店員さんとちょっとだけ会話したりするようになって、気持ちを切り替えることができる場所になっていったんです。知り合いは超えているけど、親友とまではいかない。ちょうどいい楽な関係を見つけることができたのは大きかったかも知れません。

―― いわゆるサードプレイス的な場所ですよね。

そうです。日常と非日常のちょうど中間、いい感じの逃げ場所みたいのが必要だったところにぴったりきました。それもあって、この後、自分がコーヒー屋さんになっていくことになったんだと思うんです。

豆を買うだけでなく、お客様や産地との関係性を先のことまで考える。そして、ちゃんとおいしコーヒーを継続して皆さんに届けられる新しい仕組みを作りたいと考えています。

考えていたことが確信に変わったこの5年

―― それがコーヒーの世界に入っていくきっかけになったんですね?

卒業して役者も辞めたけど、何をしたらいいかわからなくて。友だちが店長をやっているコーヒー豆屋に誘ってくれて働き始めました。でも豆屋って儲かりづらいんですね。豆がおいしくても、淹れ方に変数が多すぎて理想の味を出すのは家では難しい。だから、豆販売だけではなく「その場で抽出して飲めるカフェをやらないとだめですよ。」と入って1ヶ月で生意気にも提案していました。まぁ通らなかったですが。
その1年後くらいに、下北沢に日本のコーヒースタンドの走りであるベアポンド・エスプレッソができまして。すぐに行って「1日何杯売れるんですか?」とか「牛乳は何を使ってますか?」とか質問させてもらっていました。そうしていく中で、他にも次々コーヒースタンドができ始め、さすがにもうカフェをやらないと駄目だと思い、独立することを決めました。
おいしいコーヒーを出すのは当たり前の話。でもおいしいコーヒーを売るだけではどうしても限界がある。そこにプラスアルファで、僕にとってのスタバのような、お客さんの心の隙間を埋める場所にしていけたら、極端な話し、たとえコーヒーがそこそこでも人は来る。おいしければもっと来てくれる。そういうお店を自分でつくろうと始めたのが猿田彦珈琲です。

―― 元々自信がなかった自分を救ってくれた場所の延長線上に猿田彦珈琲があったんですね。創業から約10年経ちましたが、自分でやろうとしたことを実現できていますか?

抽出屋さんから始まって、やれる限りすべてをやろうと思って、勉強しながらいろんなことに挑戦してきました。結果、今となっては焙煎と生豆の仕入れや輸入までやっています。その間に、尊敬する先輩方と一緒に仕入れについての勉強をさせてもらい、すごくいい経験になりました。今は、当社が仕入れた豆で、自分が本当にやりたかった路線のコーヒーをちゃんとやれているのではないかと思っています。当初描いていた理想のコーヒーを提供することへ徐々に近づいていってる感覚はあります。
ものすごくおいしいコーヒーだけど1杯5,000円したらあまり意味がないと思うんです。コーヒーは日常と非日常の間じゃなきゃいけないと思っています。僕ににとっては高くてたまにしか飲むことのできないコーヒーより、みなさんに毎日のように飲んでもらえるおいしいコーヒーの方が価値が高い。一番は、お客さんにとって良い状態であることが、僕らにとってもいい状態で、産地にとってもいい状態である、そんな仕組みが作れること。そのためには、ある程度豆の取り扱い量を増やして、高いものをただ高く仕入れるのではなく、適切な値段で仕入れる仕組みを作った方がいいと思うんですね。高品質のコーヒーを少量だけ高い価格で仕入れることは農家を助けることになるとは思いますが、ただ高くするのではなく、産地とお客さまの双方にとって適切な価格に落ち着かせるためにも、ボリューム量を持って仕入れた方が、結果として豆農家の総利益が上がり産地は潤います。そうすることで日本のお客さまにも適切な価格でおいしいコーヒーを提供できるというわけです。そうすることがサスティナブルだと思うし、本当の意味で産地の貧困救済にもなると思っています。僕らはニッチな世界ではなかなかのスケールを持っています。僕らぐらいの規模なら原価率が1%増えたとしてもそんなに痛くない。一方で最大手のスターバックス コーヒーが1%増やしたら株主が黙っていません。だからこそ、僕らのような中小規模のコーヒー屋が、豆を買うだけでなく、お客様や産地との関係性を先のことまで考える。そして、ちゃんとおいしコーヒーを継続して皆さんに届けられる新しい仕組みを作りたいと考えています。5年前までは言い切れなかった。その頃は、まだ確信がなかったんです。

―― 現実的に見えるようになってきたから、今お話し頂けてるんですね。

当時は仮説は立ていましたが、実現可能か分からなかったです。

お客さんは投資家

―― 小さいお店からだんだんスケールが大きくなると、自分が店に立つことも減ります。そうすると自分の思い描いたお客さんとの関係性や空気感を持った場所にするのは難しくならないですか?

僕が最初にお店に立っていた時のような空気感とはだいぶ違うものとなったのは事実です。でも、僕個人のパーソナルなお店より、みんなで作り上げていくお店づくりの方が楽しい時期になってきたと僕は考えています。

―― 変化はしているけれど、いい変化であるということですね。

お客さんが投資家だと思って始めているので、いろんな人に変わっちゃったよと言われることもあります。僕が立っているときの方がよかった部分もあったかとは思いますけど、一方で僕ができないことをやってくれる、すごく良くできるスタッフもたくさんいます。逆に言うと、「さぁこれからは僕だけの考えでなく、みんなで作り上げる大人の文化祭の時間です」みたいなことになってる。大きくするとクオリティに揺らぎがでることもありますけど、僕の中では猿田彦珈琲はクオリティが下がったとまったく思っていません。いい方に捉えると、その人その人の個性を出しやすくなってきてる気もしています。

そんなことしなくていいんじゃないかという人が同じコーヒー業界にもたくさんいるとしたら、本当に悲しい現実だと思ってしまいます。

まだまだ成熟していないコーヒー業界

―― コーヒーをめぐる状況も変わってきたと思いますか?

テレビの「カンブリア宮殿」に出た時もお話したことですが、パナマの農園の話があります。パナマは世界で一番高いコーヒーがあって、100グラムで原価3、4万円もするのがあるんです。でもそういう豆を扱う農園でさえ、豆を摘むピッカーとして働く人が裸足だったりします。子どもはだいたいみんなオムツ一丁。かなりの貧困です。仕入れの1ポンドの量ごと、数十セント上乗せしてあげれば、彼、彼女らが靴を買えるようになるわけです。少量のコーヒーを仕入れるだけでは難しいですが、量をもってたくさんのコーヒーを適切に仕入れることができればそれは叶います。そんな話をしていると小馬鹿にしてくる同業者もいて悲しくなることはあります。人生イチおいしいと思った豆は、ある欧米人の農園主がパナマで作っていたゲイシャという品種の豆なんですが、彼は10年前にパナマで土地を買って栽培を始めたけど、10年間ずっと失敗してきて、やっとある程度量を収穫することができたと言っていました。その彼は、始めた当初、働いてくれている先住民たちがあまりに貧困だから、まず学校に行かせることにしたと。あと、住まいもそこまで立派とは言わないけど、他のよりは断然いいものを用意して、働く環境を整えたんです。そうすることで働く人もうれしい上に、おいしいコーヒーもできるという仕組みを彼は証明してくれた。そんな人が目の前にいるのに、そんなことしなくていいんじゃないかという人が同じコーヒー業界にもたくさんいるとしたら、本当に悲しい現実だと思ってしまいます。

―― なるほど。豆の品質以前の話ですね。

コーヒーの仕事を頑張ったら、靴が履けて学校に行って生活が良くなって、新しいこともできるし、その子どもたちも未来を切り開くことが可能になります。そういう環境を作ればみんな仕事を一生懸命やるわけじゃないですか。
人って、1%でも10%でも人を喜ばせたい気持ちがあると思うんですよね。お客さんや働く仲間の、その1%の純粋な気持ちにどれだけ焦点当てさせてあげられるかが、僕の仕事だと思うんですね。そこだけ膨らませたり、濃縮してあげられれば、だいたいの人は成功すると本当に思っていて。もし猿田彦珈琲が少しはブランドになっているとしたら、そのことを一生懸命やったことと、おいしいコーヒーと心地居いい場所を提供するという最もやりたいことをやってきたからなんじゃないかなと。その両輪があれば、僕はブランドは作れると本気で思っています。それができていれば、多少波があってもお客さんはある程度以上は僕らのことをずっと好きでいてくれるはずだと信じています。うちに来たことがない、来ない人たちも含めて若い人たちに思ったり願ったりするのは、ピュアな部分を大事にできるかどうか。コーヒーを通じて少しでもそのことに影響を与えられるようにと思ってこれからもやっていきます。

成人の方々へのMessage

僕が二十歳の頃はやることなすこと全てうまくいかず、なかなかのノイローゼでした。人の顔色ばかり伺い、完全に塞ぎ込んでいました。 自分を信じることは、簡単ではありません。若いときには勢いだけでうまくいくこともあると思いますが、社会の目が強まったり失敗を恐れるような年頃になると、萎縮しちゃうこともあるでしょう。大人へなるにつれて不快的な環境になるかもしれませんが、いつも快適だったら最高なのに、そんな都合いいことばかりでもないのが人生です。そんなときは、不快的な環境を楽しめるぐらいのいい加減さというのか、ミスしたり恥ずかしい目にあってもまあいいのかなみたいに思えれば、人生は楽になるしどんどん楽しくなっていきます。背伸びし過ぎず、今やれることを最大限にやっていくこと。それが一番の解決策なんじゃないかと。何があっても、笑い飛ばせるかはわかりませんか、なるべく笑っていることが大事だと僕は思っています。

Otsuka Tomoyuki

大塚 朝之猿田彦珈琲代表

1981年東京都生まれ。15歳から25歳まで俳優業を志し、役者を引退後、コーヒー豆販売店に勤務。品評会で優勝するような高品質のコーヒーを気軽に紙コップで提供し、たくさんの人に届けたいと決意し、スペシャルティコーヒーのカフェを開くことを決意。2011年東京・恵比寿に猿田彦珈琲を開店。現在都内を中心に10店舗を展開。『たった一杯で、幸せになるコーヒー屋』をコンセプトに、最高のホスピタリティを目指す日本発の珈琲ブランドとして躍進中。
https://sarutahiko.co/

40歳 成人の日

40歳へのInterview

Otsuka Tomoyuki

大塚 朝之猿田彦珈琲代表

国内15店舗、台湾に4店舗を展開する猿田彦珈琲の大塚朝之さん。大きな企業とのコラボレーションも積極的に手掛け、その名前は様々な場所で目にすることができます。だが、順調に展開している背景には、大塚さん自身、精神的な苦悩を乗り越えてきた経験が生きているといいます。第3のコーヒー(サードウェーブ)以降、華やかな世界に見えるコーヒー業界への思いと、ピュアであることの大切さを話して頂きました。

若い人たちに思ったり願ったりするのは、ピュアな部分を大事にできるかどうか

悩み苦しんだ役者時代

―― 20歳の頃は何をしていましたか?

法政大学の大学生でしたが、ノイローゼで灰色の日々でした。当時役者を志していて、週に3回はオーディションに行って全部落ちるということが続いていました。周りの大学生が就活を通して味わう面接の精神的な苦しさを、それこそ高校生の頃から先に経験してきた感じです。俳優は自分を商品として売り込みに行くので、いまこれを言ったらこの人は何を思うだろうかとか、損か得かとか顔色を伺っていて、アイデンティティや自分の存在意義を狭い意味で真面目に考えすぎていましたね。

―― オーディションに落ちてしまう理由は、ご自身ではどう考えていましたか?

とにかく自信がなくてやりきれてなかった。オーディションに行っても、監督のためか、プロデューサーのためか、お客さんのためか、マネージャーのためか、だれのために芝居をするのかもわからなくなってきていました。目の前に集中できず、何をやればいいかという優先順位も上手につけられなくなっていました。

―― それが審査する人たちにも見えてしまっていた?

そうだと思います。自滅してしまっていましたね。いまなら非難されても余裕ですけど、昔はいちいち何か言われるだけで過剰に傷ついてしまっていました。今はいい意味でいい加減になったんだと思います。

―― 当時の自信のない自分を見て、こうしたほうが良かったとか思いますか?

めっちゃ思います。一方であの数年間を過ごしたことで、当時の悩みが意味のない悩みだと自分でよく気づけたのはよかった。もし振り返って自分に言うとしたら、「苦しみなさい。いずれそれが勝手にプラスになるから」ですかね。大学は哲学科だったんですが、その苦しい時期のなか、担当の先生のおかげもあって、卒論をやりきることができたんですね。卒論で哲学を集中して勉強したことで、悩みや苦しさ、いろんな事が解決していきました。哲学科はたまたま選びましたが、何か運命のようなものを感じます。そんな状況だったので、成人式も行ってないんです。行けませんでした。

―― 行けないというのは?

気持ち的にも行けないし、皆の前に姿を出すのも嫌だった。あと、幼稚園から私立に行っていたので地元にあんまり友達がいないんですよ。

日常と非日常のちょうど中間、いい感じの逃げ場所みたいのが必要だった

―― 先程、哲学が苦しさから救ってくれたと仰っていましたが、どういった面でそれを感じましたか?

「直感」の意味をおぼろげながら理解をすることができ、気持ちの整理ができたところです。例えば、飲み会に行きました。10人ぐらい騒いでます。以前はそこに後から入っていくのが辛かった。入っても皆が居心地よくなるためにはどうすればいいかわからなくて。今ではできるようになったというか、ただそこにりゃいいんだみたいな。役者も同じようにそこにいればよかったんです。でも当時はできなかった。なにかしないと不安になっちゃっていました。

―― いい加減でいいんだと気付いたきっかけは何だったのでしょう?

卒論ですね。もう一つ、ダメになってしまいそうだった大学3年生の頃、スタバに行くようになりました。そこで、店員さんとちょっとだけ会話したりするようになって、気持ちを切り替えることができる場所になっていったんです。知り合いは超えているけど、親友とまではいかない。ちょうどいい楽な関係を見つけることができたのは大きかったかも知れません。

―― いわゆるサードプレイス的な場所ですよね。

そうです。日常と非日常のちょうど中間、いい感じの逃げ場所みたいのが必要だったところにぴったりきました。それもあって、この後、自分がコーヒー屋さんになっていくことになったんだと思うんです。

豆を買うだけでなく、お客様や産地との関係性を先のことまで考える。そして、ちゃんとおいしコーヒーを継続して皆さんに届けられる新しい仕組みを作りたいと考えています。

考えていたことが確信に変わったこの5年

―― それがコーヒーの世界に入っていくきっかけになったんですね?

卒業して役者も辞めたけど、何をしたらいいかわからなくて。友だちが店長をやっているコーヒー豆屋に誘ってくれて働き始めました。でも豆屋って儲かりづらいんですね。豆がおいしくても、淹れ方に変数が多すぎて理想の味を出すのは家では難しい。だから、豆販売だけではなく「その場で抽出して飲めるカフェをやらないとだめですよ。」と入って1ヶ月で生意気にも提案していました。まぁ通らなかったですが。
その1年後くらいに、下北沢に日本のコーヒースタンドの走りであるベアポンド・エスプレッソができまして。すぐに行って「1日何杯売れるんですか?」とか「牛乳は何を使ってますか?」とか質問させてもらっていました。そうしていく中で、他にも次々コーヒースタンドができ始め、さすがにもうカフェをやらないと駄目だと思い、独立することを決めました。
おいしいコーヒーを出すのは当たり前の話。でもおいしいコーヒーを売るだけではどうしても限界がある。そこにプラスアルファで、僕にとってのスタバのような、お客さんの心の隙間を埋める場所にしていけたら、極端な話し、たとえコーヒーがそこそこでも人は来る。おいしければもっと来てくれる。そういうお店を自分でつくろうと始めたのが猿田彦珈琲です。

―― 元々自信がなかった自分を救ってくれた場所の延長線上に猿田彦珈琲があったんですね。創業から約10年経ちましたが、自分でやろうとしたことを実現できていますか?

抽出屋さんから始まって、やれる限りすべてをやろうと思って、勉強しながらいろんなことに挑戦してきました。結果、今となっては焙煎と生豆の仕入れや輸入までやっています。その間に、尊敬する先輩方と一緒に仕入れについての勉強をさせてもらい、すごくいい経験になりました。今は、当社が仕入れた豆で、自分が本当にやりたかった路線のコーヒーをちゃんとやれているのではないかと思っています。当初描いていた理想のコーヒーを提供することへ徐々に近づいていってる感覚はあります。
ものすごくおいしいコーヒーだけど1杯5,000円したらあまり意味がないと思うんです。コーヒーは日常と非日常の間じゃなきゃいけないと思っています。僕ににとっては高くてたまにしか飲むことのできないコーヒーより、みなさんに毎日のように飲んでもらえるおいしいコーヒーの方が価値が高い。一番は、お客さんにとって良い状態であることが、僕らにとってもいい状態で、産地にとってもいい状態である、そんな仕組みが作れること。そのためには、ある程度豆の取り扱い量を増やして、高いものをただ高く仕入れるのではなく、適切な値段で仕入れる仕組みを作った方がいいと思うんですね。高品質のコーヒーを少量だけ高い価格で仕入れることは農家を助けることになるとは思いますが、ただ高くするのではなく、産地とお客さまの双方にとって適切な価格に落ち着かせるためにも、ボリューム量を持って仕入れた方が、結果として豆農家の総利益が上がり産地は潤います。そうすることで日本のお客さまにも適切な価格でおいしいコーヒーを提供できるというわけです。そうすることがサスティナブルだと思うし、本当の意味で産地の貧困救済にもなると思っています。僕らはニッチな世界ではなかなかのスケールを持っています。僕らぐらいの規模なら原価率が1%増えたとしてもそんなに痛くない。一方で最大手のスターバックス コーヒーが1%増やしたら株主が黙っていません。だからこそ、僕らのような中小規模のコーヒー屋が、豆を買うだけでなく、お客様や産地との関係性を先のことまで考える。そして、ちゃんとおいしコーヒーを継続して皆さんに届けられる新しい仕組みを作りたいと考えています。5年前までは言い切れなかった。その頃は、まだ確信がなかったんです。

―― 現実的に見えるようになってきたから、今お話し頂けてるんですね。

当時は仮説は立ていましたが、実現可能か分からなかったです。

お客さんは投資家

―― 小さいお店からだんだんスケールが大きくなると、自分が店に立つことも減ります。そうすると自分の思い描いたお客さんとの関係性や空気感を持った場所にするのは難しくならないですか?

僕が最初にお店に立っていた時のような空気感とはだいぶ違うものとなったのは事実です。でも、僕個人のパーソナルなお店より、みんなで作り上げていくお店づくりの方が楽しい時期になってきたと僕は考えています。

―― 変化はしているけれど、いい変化であるということですね。

お客さんが投資家だと思って始めているので、いろんな人に変わっちゃったよと言われることもあります。僕が立っているときの方がよかった部分もあったかとは思いますけど、一方で僕ができないことをやってくれる、すごく良くできるスタッフもたくさんいます。逆に言うと、「さぁこれからは僕だけの考えでなく、みんなで作り上げる大人の文化祭の時間です」みたいなことになってる。大きくするとクオリティに揺らぎがでることもありますけど、僕の中では猿田彦珈琲はクオリティが下がったとまったく思っていません。いい方に捉えると、その人その人の個性を出しやすくなってきてる気もしています。

そんなことしなくていいんじゃないかという人が同じコーヒー業界にもたくさんいるとしたら、本当に悲しい現実だと思ってしまいます。

まだまだ成熟していないコーヒー業界

―― コーヒーをめぐる状況も変わってきたと思いますか?

テレビの「カンブリア宮殿」に出た時もお話したことですが、パナマの農園の話があります。パナマは世界で一番高いコーヒーがあって、100グラムで原価3、4万円もするのがあるんです。でもそういう豆を扱う農園でさえ、豆を摘むピッカーとして働く人が裸足だったりします。子どもはだいたいみんなオムツ一丁。かなりの貧困です。仕入れの1ポンドの量ごと、数十セント上乗せしてあげれば、彼、彼女らが靴を買えるようになるわけです。少量のコーヒーを仕入れるだけでは難しいですが、量をもってたくさんのコーヒーを適切に仕入れることができればそれは叶います。そんな話をしていると小馬鹿にしてくる同業者もいて悲しくなることはあります。人生イチおいしいと思った豆は、ある欧米人の農園主がパナマで作っていたゲイシャという品種の豆なんですが、彼は10年前にパナマで土地を買って栽培を始めたけど、10年間ずっと失敗してきて、やっとある程度量を収穫することができたと言っていました。その彼は、始めた当初、働いてくれている先住民たちがあまりに貧困だから、まず学校に行かせることにしたと。あと、住まいもそこまで立派とは言わないけど、他のよりは断然いいものを用意して、働く環境を整えたんです。そうすることで働く人もうれしい上に、おいしいコーヒーもできるという仕組みを彼は証明してくれた。そんな人が目の前にいるのに、そんなことしなくていいんじゃないかという人が同じコーヒー業界にもたくさんいるとしたら、本当に悲しい現実だと思ってしまいます。

―― なるほど。豆の品質以前の話ですね。

コーヒーの仕事を頑張ったら、靴が履けて学校に行って生活が良くなって、新しいこともできるし、その子どもたちも未来を切り開くことが可能になります。そういう環境を作ればみんな仕事を一生懸命やるわけじゃないですか。
人って、1%でも10%でも人を喜ばせたい気持ちがあると思うんですよね。お客さんや働く仲間の、その1%の純粋な気持ちにどれだけ焦点当てさせてあげられるかが、僕の仕事だと思うんですね。そこだけ膨らませたり、濃縮してあげられれば、だいたいの人は成功すると本当に思っていて。もし猿田彦珈琲が少しはブランドになっているとしたら、そのことを一生懸命やったことと、おいしいコーヒーと心地居いい場所を提供するという最もやりたいことをやってきたからなんじゃないかなと。その両輪があれば、僕はブランドは作れると本気で思っています。それができていれば、多少波があってもお客さんはある程度以上は僕らのことをずっと好きでいてくれるはずだと信じています。うちに来たことがない、来ない人たちも含めて若い人たちに思ったり願ったりするのは、ピュアな部分を大事にできるかどうか。コーヒーを通じて少しでもそのことに影響を与えられるようにと思ってこれからもやっていきます。

成人の方々へのMessage

僕が二十歳の頃はやることなすこと全てうまくいかず、なかなかのノイローゼでした。人の顔色ばかり伺い、完全に塞ぎ込んでいました。 自分を信じることは、簡単ではありません。若いときには勢いだけでうまくいくこともあると思いますが、社会の目が強まったり失敗を恐れるような年頃になると、萎縮しちゃうこともあるでしょう。 大人へなるにつれて不快的な環境になるかもしれませんが、いつも快適だったら最高なのに、そんな都合いいことばかりでもないのが人生です。そんなときは、不快的な環境を楽しめるぐらいのいい加減さというのか、ミスしたり恥ずかしい目にあってもまあいいのかなみたいに思えれば、人生は楽になるしどんどん楽しくなっていきます。背伸びし過ぎず、今やれることを最大限にやっていくこと。それが一番の解決策なんじゃないかと。 何があっても、笑い飛ばせるかはわかりませんか、なるべく笑っていることが大事だと僕は思っています。

Otsuka Tomoyuki

大塚 朝之猿田彦珈琲代表

1981年東京都生まれ。15歳から25歳まで俳優業を志し、役者を引退後、コーヒー豆販売店に勤務。品評会で優勝するような高品質のコーヒーを気軽に紙コップで提供し、たくさんの人に届けたいと決意し、スペシャルティコーヒーのカフェを開くことを決意。2011年東京・恵比寿に猿田彦珈琲を開店。現在都内を中心に10店舗を展開。『たった一杯で、幸せになるコーヒー屋』をコンセプトに、最高のホスピタリティを目指す日本発の珈琲ブランドとして躍進中。
https://sarutahiko.co/