TOPに戻る
40歳 成人の日

40歳へのInterview

Okamoto Naho

岡本 菜穂SIRI SIRI デザイナー

意外性を感じさせるマテリアルと伝統的な職人技術を組み合わせた、コンテンポラリー・ジュエリーブランド「SIRI SIRI(シリシリ)」のデザイナーである岡本菜穂さんは、2018年にスイスの大学院に留学し、そのままスイスに拠点を据えました。何でもできると思いながら、何もできずにいた20歳の頃から20年。自分にとって必要なものを見極めてフォーカスし、芯にある表現をブレずに深められるようになった自分自身の変化を話して頂きました。

回りの影響から離れて、
自分の芯にあるものだけで
勝負する

着物で親戚回り

―― 着物を着たのは久しぶりですか?

この撮影の前にもやまとさんで、一度着物を着させてもらったのですが、それを除けば成人式以来だと思います。

―― 20年ぶりに着てみてどうでしたか?

体をきゅっと締められるので久しぶりに着るときついなと思いました。特にコロナ禍以降、すっかり楽なワンマイルファッションになりがちで、体を締めるものを着ていなかったのもありますね。心身ともに引き締まりました(笑)。

―― そうした着物を日常で着ていたと考えると、昔の人は大変だったなと思いますか?

すごいなと思います。でも、昔の写真を見るのが好きで、江戸や明治時代の写真も見るんですが、みんな少しラフに着てるんですよね。

―― 成人式以来の着物とのことですが、成人式には出席されましたか?

出てないんです。中学校から私立に通っていて、地元の友だちの集まりみたいなのがなくて。

―― 着物を着たのは、友だちと集まった時ですか?

東京生まれなんですけど、母方の祖母が岐阜県の飛騨古川にいて、毎年お正月になると行ってたんです。成人式前のお正月に行った時、祖母が振袖を買ってくれていて、それを着て、よく知らない親戚の家を回りましたね。

―― 親戚の方が多かったんですね。挨拶回りに着物を着ていくのは、中々ない経験ですね。

昔から年上に見られていたのもあって、「あれ、なんで今日着物着てるの?」って聞かれながら回りました。

―― おばあちゃんとしてはみんなに見てもらいたい思いがあったんでしょうね。

そうだと思います。それでその振袖を東京に持って帰って、高校時代の友だちと成人式の日に着て会いました。

万能感だけが空回りして、これからどう具体的になっていくか想像ができなくて、どう動いていいかも分からなかった。

何でもできると思っていた20歳

―― 20年前、どんな20歳でしたか?

20歳の頃をあまり覚えていなくて、そんなに特別大切な年という感じではなかったんじゃないかなと。

―― 普通に過ぎていく、ある1年という感じでしょうか?

そうですね。インタビューとかで自分の話をする機会があっても、20歳の頃を話すことはなかったですね。当時は桑沢デザイン研究所のスペースデザイン科に通っていて、学校に行ってアルバイトしてという学生生活をしていました。普通ですね(笑)

―― 学生ですから、そうですよね。

友だちと過ごす時間がやたら長かった気がします。まだ子どもの延長で、ひとつ楽しいことがあるとそれをいくらでも反復できて、無限に笑い続けるみたいなことができていたなと思います。子どもの時から年上の友だちが多くて、そういう友だちと連れ添っていると、その人たちが将来的な近い目標になっていて、そこまで頑張んなきゃみたいなことは日々ちょっと感じたりはしていました。

―― 次にどうするか考えなければいけない時期でもありますよね。

考えなきゃいけない時期なんですけど、焦りは全然なかったです。まだ遊んでるのが楽しかった。でもただ遊んでるだけじゃなくて、古いものが好きだったので、アンティークショップに入り浸っていました。その時期に得た物を見る経験と知識は、その後の自分の財産になったりしています。

―― その時点で、具体的な夢はありましたか?

そうですね。インターンシップで建築事務所やファッション関係のPRのインターンをしていました。卒業後1年経って、リビングデザインセンターOZONEという家具のショールームが集まる施設で働き始めました。父親が建築家で、家具の関係にいくのもいいかなと思っていたのはありました。結局10年そこで働きました。

―― 年上の友だちに憧れていながらも、具体的にやりたいことがなかったというのは、なにかもやっとした感じがありそうですね。

それはありました。その年の若者の多くが抱えていることかもしれないですけど、自分で何でもできるような感覚もある一方で実績も経験もない。万能感だけが空回りして、これからどう具体的になっていくか想像ができなくて、どう動いていいかも分からなかった。遊んでいた年上の人相手に大きな事も言ったりすることもあって、けんかまではいかないけど、「何もやってないのに、そんな大きなこと言っちゃって」みたいな。

―― なんでもできると思っていたけど、具体的なものはなかったという感じでしょうか。

そうです。当時絵を描くのが好きで上手に描けると思っていたんですけど、桑沢に通い 始めてもっと絵のうまい、才能のある人たちとも出会い、ショックで絵が描けなくなっちゃったりとか、そういうこともありましたね。

デザインや技術で高められる価値

―― そこからSIRI SIRIを始めるまで、ジュエリーデザインへの興味はOZONEに入ってから湧いてきたのですか?

アンティーク・ジュエリーが好きだとお話しましたが、アンティークショップをよく回っていた頃、桑沢の同級生がフィレンツェで買い付けしてアンティークショップをやろうよと誘ってくれたんです。乗り気ではなかったんですけど、半ば強制的にイタリアに連れていかれたことがあって、、、。その時にぼんやりとジュエリーを仕事にしていくかもしれないなと思いました。
OZONEで働いていると、海外の有名デザイナーがデザインして、職人が作るという家具が様々にあって。ただそうしたものが現実的に使いたいかと言われると、そうではなかったんです。作るんだったら、使えて売れるものを作らなきゃだめだとも思っていて、そのころから職人さんの技術を使ってジュエリーを新しく作り、ちゃんと売れるものを作るべきだと考え始めていました。それで24歳でSIRI SIRIとしてジュエリーのデザインを始めました。でも、その頃に自分が金属アレルギーであることが分かって。アンティーク・ジュエリーは10金のものが多いのですが、10金だとアレルギーが出なかったんです。身に着けられるジュエリーが数少ない中で、アンティーク・ジュエリーだったら身に着けられる。その時の高揚感や楽しさを持ちつつ、金属じゃないジュエリーを作ったら、自分のためにもいいんじゃないかと思っていたのもあります。

―― アンティーク・ジュエリーのどんなところに惹かれていたんですか?

自然発生的だと思います。実家には、一般の日本の家庭のように自分のお茶椀とか箸がなくて、無印良品のようなすごくニュートラルで誰がどれを使ってもいい食器や家具しかなくて、日本の歴史や伝統を感じるみたいなものがなかったんです。そういった日常との違いからアンティークがすごく魅力的に見えたのかもしれません。

―― 伝統的なものに、逆に惹かれるものがあったんですね?

そうです。職人の技術自体は好きで興味がありました。ジュエリーってちっちゃいですけど、すごい細工が細かくて、アンティーク・ジュエリーは特にそう。例えばお守り的な意味で髪の毛を使っていたりするのもある。例えばカメオの技術とか素材自体が希少ではないけれど、技術によって価値が高まりますよね。そういう所もすごい好き。技術とかデザインによって、普通の素材が新しい価値を持つみたいなことがすごいなあと思って、好きでしたね。

私の中の女性像は、家にいて家事をしている主婦のお母さんではなく、クリエイティブな仕事をして、自由に好きなことをしている女性がスタンダードだった

好きなことを仕事にした働く女性像がスタンダードだった

―― ご自身のブランドであるSIRI SIRIをはじめて15年以上が経ちましたが、順調でしたか?

いや、全然順調って感じでもないですよ。でも下がってるわけでもなく、本当にさざ波のように少しずつ少しずつ成長している感じです。

―― それは、収益的な部分でしょうか?

そうです。私の成長の意味でも、そんなに大きな変化はないかな。

―― スイスの大学院に留学されていたんですよね?

そうです。SIRI SIRIを10年以上やってきて、今後も続けるなら、自分の本質やデザインの本質を探っておきたかった。そのためにもスイスに留学しました。留学を経て、この5年ぐらいの間で確かにぐっと変わったと感じます。

―― ご自身にとってブランドに携わる時間はどんな時間ですか?

自分でこうなりたいと思い描いたことはなかったんです。初めての展示会出典でたまたまTOMORROWLANDさんと出会ったのもそうですが、自分で最初の一歩は踏み出すけど、そこからは人に引っ張っていただいてきました。あとは古いお客さんがずっとファンでいてくれてたりして、自分で計算してやってきたわけじゃないことも支えになっています。

―― 思い描いていた40歳と今の自分には、ズレがあったりしますか?

さっき思い出してみたんですけど、20歳の頃に40歳の何かを思っていたかというと真っ白。10年ちょっと後までは想像もしましたけど、20年後はまったくわからなかったですね。

―― 何も想像できなかったんですね?

父親が建築家とインテリアデザイナーだったので、父と一緒に働くインテリアデザイナーの女性たちを子どもの頃から目にしていました。母が37歳で癌により亡くなったのですが、私が小さい頃だったので私は母をほとんど知らないんです。父子家庭で、インテリアデザイナーのお弟子さんや女性の建築家が、私のお世話をしてくれたりもして。だから私の中の女性像は、家にいて家事をしている主婦のお母さんではなく、クリエイティブな仕事をして、自由に好きなことをしている女性がスタンダードだったんです。自分もそうなるんだろうなって。だから今の自分ように、女性が仕事をして会社を作るというのは、普通のことだと思ってきました。

―― 思い描く大人の姿がお母さんではなく、周りの働いていた大人の女性だったんですね。

そうです。母が37歳という年齢で亡くなったことについて、子どもの頃から時々想像してきました。でも具体的な想像には至りませんでした。母が亡くなった37歳を超えて40歳になり、若くして亡くなったんだなとか、やりたいことあったのかなとか、改めてそういうことを思ったりするようにもなりました。

60歳になって、40歳を振り返ったらやっぱりまだ青春だなとか、若いなとかあるかもしれない

あきらめの美学の肯定と抵抗

―― お母さまの年齢を超えたわけですもんね。20歳が通過点だったと言っていましたが、40歳も通過点のひとつという感じでしょうか。

そうですね。でも30代とはやっぱりちょっと違うなと思いました。大人になったなというか、下り坂に入ったというか、あまり言わない方がいいかもしれないですけど、段々あきらめることに罪悪感がなくなってきましたね。

―― どういう意味ですか?

もうちょっと頑張ればできたかもしれないことを、あきらめられるようになりました。人生ってそういうもんだよなって思ったり。

―― 大人な感じがしますね。

そういうふうに考えたりはします。20歳の時は、120パーセントで生きていて、感性が生の状態というか。だから、できなかったことに対してすごくイライラしたり、もっとでできるのにとか思ったりしましたけど、今は4、50パーセントくらいの力の入れ方でだめだったとしてもあきらめがつくようになりました。

―― そのあきらめてしまうことは、年を取ってなってしまった良くないことなのか、単純に変化として別に悪くないなと思っているのかどちらですか?

どっちもあるかな。悪い変化としては、刺激がなくなってくるので、無理やり何かすることもあんまりなくなってきます。それは人生として、モノトーンというか、つまらないじゃないですか。でも一方では、精神的には楽で葛藤もしないので、もやもやを引きずらず次のステップに行けるようなところもある。60歳になって、40歳を振り返ったらやっぱりまだ青春だなとか、若いなとかあるかもしれないですけど、大事なものを選択して、フォーカスすることができるようになったということかもしれません。

―― それはデザインにも反映されていますか?

デザインに悪い方の影響が出てきちゃうんじゃないかと思って、もっと集中して考えられるようにスイスに留学したのもあります。
デザインはもうちょっと強いものをどんどん出し続けたい。例えば東京にいるとトレンドを見たり、いろんな人から影響を受けたりして、自分自身の輪郭がぼんやりしてしまい、デザインが多面的過ぎちゃったりもしました。海外に行くことで、ある意味でもうちょっと自分のピュアなところが強く出るんじゃないかなと思ってやっています。

―― あきらめの部分の発展的なやり方かもしれないですね。

そうですね。回りの影響から離れて、自分の芯にあるものだけで勝負するのもいいなって。それがダメだった時を考えると、ちょっと怖い部分もありますけどね。

成人の方々へのMessage

20歳の頃を思い返すと生活や人生という文脈を全く無視した状態で、大人の事情なんてものもまだ気付かず、何でもかんでも興味があるものには触れていました。大人になってからの時間にも色々な新しい経験が訪ずれるけれど、やはり20歳の感性で受け取ったものは鮮やかさが凄い。その時にしか吸収できない世界の空気があるなと思う。生の感情、感覚のまま体験して欲しい。それはいずれ薄れていくものなので。

Okamoto Naho

岡本 菜穂SIRI SIRI デザイナー

1981年東京都生まれ。ジュエリーデザイナー。自然由来かつ身の周りにある素材をデザインと工芸の力でジュエリーへと昇華させるブランド 「SIRI SIRI」 を2006年にスタート。現在はスイスを拠点に活動を行う。その功績は2015年第23回桑沢賞を受賞するほか、 2020年THE LUXURY INNOVATION AWARD(スイス)にてファイナリストに選出されるなど、国内外で評価されている。
https://sirisiri.jp/

40歳 成人の日

40歳へのInterview

Okamoto Naho

岡本 菜穂SIRI SIRI デザイナー

意外性を感じさせるマテリアルと伝統的な職人技術を組み合わせた、コンテンポラリー・ジュエリーブランド「SIRI SIRI(シリシリ)」のデザイナーである岡本菜穂さんは、2018年にスイスの大学院に留学し、そのままスイスに拠点を据えました。何でもできると思いながら、何もできずにいた20歳の頃から20年。自分にとって必要なものを見極めてフォーカスし、芯にある表現をブレずに深められるようになった自分自身の変化を話して頂きました。

回りの影響から離れて、自分の芯にあるものだけで勝負する

着物で親戚回り

―― 着物を着たのは久しぶりですか?

この撮影の前にもやまとさんで、一度着物を着させてもらったのですが、それを除けば成人式以来だと思います。

―― 20年ぶりに着てみてどうでしたか?

体をきゅっと締められるので久しぶりに着るときついなと思いました。特にコロナ禍以降、すっかり楽なワンマイルファッションになりがちで、体を締めるものを着ていなかったのもありますね。心身ともに引き締まりました(笑)。

―― そうした着物を日常で着ていたと考えると、昔の人は大変だったなと思いますか?

すごいなと思います。でも、昔の写真を見るのが好きで、江戸や明治時代の写真も見るんですが、みんな少しラフに着てるんですよね。

―― 成人式以来の着物とのことですが、成人式には出席されましたか?

出てないんです。中学校から私立に通っていて、地元の友だちの集まりみたいなのがなくて。

―― 着物を着たのは、友だちと集まった時ですか?

東京生まれなんですけど、母方の祖母が岐阜県の飛騨古川にいて、毎年お正月になると行ってたんです。成人式前のお正月に行った時、祖母が振袖を買ってくれていて、それを着て、よく知らない親戚の家を回りましたね。

―― 親戚の方が多かったんですね。挨拶回りに着物を着ていくのは、中々ない経験ですね。

昔から年上に見られていたのもあって、「あれ、なんで今日着物着てるの?」って聞かれながら回りました。

―― おばあちゃんとしてはみんなに見てもらいたい思いがあったんでしょうね。

そうだと思います。それでその振袖を東京に持って帰って、高校時代の友だちと成人式の日に着て会いました。

万能感だけが空回りして、これからどう具体的になっていくか想像ができなくて、どう動いていいかも分からなかった。

何でもできると思っていた20歳

―― 20年前、どんな20歳でしたか?

20歳の頃をあまり覚えていなくて、そんなに特別大切な年という感じではなかったんじゃないかなと。

―― 普通に過ぎていく、ある1年という感じでしょうか?

そうですね。インタビューとかで自分の話をする機会があっても、20歳の頃を話すことはなかったですね。当時は桑沢デザイン研究所のスペースデザイン科に通っていて、学校に行ってアルバイトしてという学生生活をしていました。普通ですね(笑)

―― 学生ですから、そうですよね。

友だちと過ごす時間がやたら長かった気がします。まだ子どもの延長で、ひとつ楽しいことがあるとそれをいくらでも反復できて、無限に笑い続けるみたいなことができていたなと思います。子どもの時から年上の友だちが多くて、そういう友だちと連れ添っていると、その人たちが将来的な近い目標になっていて、そこまで頑張んなきゃみたいなことは日々ちょっと感じたりはしていました。

―― 次にどうするか考えなければいけない時期でもありますよね。

考えなきゃいけない時期なんですけど、焦りは全然なかったです。まだ遊んでるのが楽しかった。でもただ遊んでるだけじゃなくて、古いものが好きだったので、アンティークショップに入り浸っていました。その時期に得た物を見る経験と知識は、その後の自分の財産になったりしています。

―― その時点で、具体的な夢はありましたか?

そうですね。インターンシップで建築事務所やファッション関係のPRのインターンをしていました。卒業後1年経って、リビングデザインセンターOZONEという家具のショールームが集まる施設で働き始めました。父親が建築家で、家具の関係にいくのもいいかなと思っていたのはありました。結局10年そこで働きました。

―― 年上の友だちに憧れていながらも、具体的にやりたいことがなかったというのは、なにかもやっとした感じがありそうですね。

それはありました。その年の若者の多くが抱えていることかもしれないですけど、自分で何でもできるような感覚もある一方で実績も経験もない。万能感だけが空回りして、これからどう具体的になっていくか想像ができなくて、どう動いていいかも分からなかった。遊んでいた年上の人相手に大きな事も言ったりすることもあって、けんかまではいかないけど、「何もやってないのに、そんな大きなこと言っちゃって」みたいな。

―― なんでもできると思っていたけど、具体的なものはなかったという感じでしょうか。

そうです。当時絵を描くのが好きで上手に描けると思っていたんですけど、桑沢に通い始めてもっと絵のうまい、才能のある人たちとも出会い、ショックで絵が描けなくなっちゃったりとか、そういうこともありましたね。

デザインや技術で高められる価値

―― そこからSIRI SIRIを始めるまで、ジュエリーデザインへの興味はOZONEに入ってから湧いてきたのですか?

アンティーク・ジュエリーが好きだとお話しましたが、アンティークショップをよく回っていた頃、桑沢の同級生がフィレンツェで買い付けしてアンティークショップをやろうよと誘ってくれたんです。乗り気ではなかったんですけど、半ば強制的にイタリアに連れていかれたことがあって、、、。その時にぼんやりとジュエリーを仕事にしていくかもしれないなと思いました。
OZONEで働いていると、海外の有名デザイナーがデザインして、職人が作るという家具が様々にあって。ただそうしたものが現実的に使いたいかと言われると、そうではなかったんです。作るんだったら、使えて売れるものを作らなきゃだめだとも思っていて、そのころから職人さんの技術を使ってジュエリーを新しく作り、ちゃんと売れるものを作るべきだと考え始めていました。それで24歳でSIRI SIRIとしてジュエリーのデザインを始めました。でも、その頃に自分が金属アレルギーであることが分かって。アンティーク・ジュエリーは10金のものが多いのですが、10金だとアレルギーが出なかったんです。身に着けられるジュエリーが数少ない中で、アンティーク・ジュエリーだったら身に着けられる。その時の高揚感や楽しさを持ちつつ、金属じゃないジュエリーを作ったら、自分のためにもいいんじゃないかと思っていたのもあります。

―― アンティーク・ジュエリーのどんなところに惹かれていたんですか?

自然発生的だと思います。実家には、一般の日本の家庭のように自分のお茶椀とか箸がなくて、無印良品のようなすごくニュートラルで誰がどれを使ってもいい食器や家具しかなくて、日本の歴史や伝統を感じるみたいなものがなかったんです。そういった日常との違いからアンティークがすごく魅力的に見えたのかもしれません。

―― 伝統的なものに、逆に惹かれるものがあったんですね?

そうです。職人の技術自体は好きで興味がありました。ジュエリーってちっちゃいですけど、すごい細工が細かくて、アンティーク・ジュエリーは特にそう。例えばお守り的な意味で髪の毛を使っていたりするのもある。例えばカメオの技術とか素材自体が希少ではないけれど、技術によって価値が高まりますよね。そういう所もすごい好き。技術とかデザインによって、普通の素材が新しい価値を持つみたいなことがすごいなあと思って、好きでしたね。

私の中の女性像は、家にいて家事をしている主婦のお母さんではなく、クリエイティブな仕事をして、自由に好きなことをしている女性がスタンダードだった

好きなことを仕事にした働く女性像がスタンダードだった

―― ご自身のブランドであるSIRI SIRIをはじめて15年以上が経ちましたが、順調でしたか?

いや、全然順調って感じでもないですよ。でも下がってるわけでもなく、本当にさざ波のように少しずつ少しずつ成長している感じです。

―― それは、収益的な部分でしょうか?

そうです。私の成長の意味でも、そんなに大きな変化はないかな。

―― スイスの大学院に留学されていたんですよね?

そうです。SIRI SIRIを10年以上やってきて、 今後も続けるなら、自分の本質やデザインの本質を探っておきたかった。そのためにもスイスに留学しました。留学を経て、この5年ぐらいの間で確かにぐっと変わったと感じます。

―― ご自身にとってブランドに携わる時間はどんな時間ですか?

自分でこうなりたいと思い描いたことはなかったんです。初めての展示会出典でたまたまTOMORROWLANDさんと出会ったのもそうですが、自分で最初の一歩は踏み出すけど、そこからは人に引っ張っていただいてきました。あとは古いお客さんがずっとファンでいてくれてたりして、自分で計算してやってきたわけじゃないことも支えになっています。

―― 思い描いていた40歳と今の自分には、ズレがあったりしますか?

さっき思い出してみたんですけど、20歳の頃に40歳の何かを思っていたかというと真っ白。10年ちょっと後までは想像もしましたけど、20年後はまったくわからなかったですね。

―― 何も想像できなかったんですね?

父親が建築家とインテリアデザイナーだったので、父と一緒に働くインテリアデザイナーの女性たちを子どもの頃から目にしていました。母が37歳で癌により亡くなったのですが、私が小さい頃だったので私は母をほとんど知らないんです。父子家庭で、インテリアデザイナーのお弟子さんや女性の建築家が、私のお世話をしてくれたりもして。だから私の中の女性像は、家にいて家事をしている主婦のお母さんではなく、クリエイティブな仕事をして、自由に好きなことをしている女性がスタンダードだったんです。自分もそうなるんだろうなって。だから今の自分ように、女性が仕事をして会社を作るというのは、普通のことだと思ってきました。

―― 思い描く大人の姿がお母さんではなく、周りの働いていた大人の女性だったんですね。

そうです。母が37歳という年齢で亡くなったことについて、子どもの頃から時々想像してきました。でも具体的な想像には至りませんでした。母が亡くなった37歳を超えて40歳になり、若くして亡くなったんだなとか、やりたいことあったのかなとか、改めてそういうことを思ったりするようにもなりました。

60歳になって、40歳を振り返ったらやっぱりまだ青春だなとか、若いなとかあるかもしれない

あきらめの美学の肯定と抵抗

―― お母さまの年齢を超えたわけですもんね。20歳が通過点だったと言っていましたが、40歳も通過点のひとつという感じでしょうか。

そうですね。でも30代とはやっぱりちょっと違うなと思いました。大人になったなというか、下り坂に入ったというか、あまり言わない方がいいかもしれないですけど、段々あきらめることに罪悪感がなくなってきましたね。

―― どういう意味ですか?

もうちょっと頑張ればできたかもしれないことを、あきらめられるようになりました。人生ってそういうもんだよなって思ったり。

―― 大人な感じがしますね。

そういうふうに考えたりはします。20歳の時は、120パーセントで生きていて、感性が生の状態というか。だから、できなかったことに対してすごくイライラしたり、もっとでできるのにとか思ったりしましたけど、今は4、50パーセントくらいの力の入れ方でだめだったとしてもあきらめがつくようになりました。

―― そのあきらめてしまうことは、年を取ってなってしまった良くないことなのか、単純に変化として別に悪くないなと思っているのかどちらですか?

どっちもあるかな。悪い変化としては、刺激がなくなってくるので、無理やり何かすることもあんまりなくなってきます。それは人生として、モノトーンというか、つまらないじゃないですか。でも一方では、精神的には楽で葛藤もしないので、もやもやを引きずらず次のステップに行けるようなところもある。60歳になって、40歳を振り返ったらやっぱりまだ青春だなとか、若いなとかあるかもしれないですけど、大事なものを選択して、フォーカスすることができるようになったということかもしれません。

―― それはデザインにも反映されていますか?

デザインに悪い方の影響が出てきちゃうんじゃないかと思って、もっと集中して考えられるようにスイスに留学したのもあります。 デザインはもうちょっと強いものをどんどん出し続けたい。例えば東京にいるとトレンドを見たり、いろんな人から影響を受けたりして、自分自身の輪郭がぼんやりしてしまい、デザインが多面的過ぎちゃったりもしました。海外に行くことで、ある意味でもうちょっと自分のピュアなところが強く出るんじゃないかなと思ってやっています。

―― あきらめの部分の発展的なやり方かもしれないですね。

そうですね。回りの影響から離れて、自分の芯にあるものだけで勝負するのもいいなって。それがダメだった時を考えると、ちょっと怖い部分もありますけどね。

成人の方々へのMessage

20歳の頃を思い返すと生活や人生という文脈を全く無視した状態で、大人の事情なんてものもまだ気付かず、何でもかんでも興味があるものには触れていました。大人になってからの時間にも色々な新しい経験が訪ずれるけれど、やはり20歳の感性で受け取ったものは鮮やかさが凄い。その時にしか吸収できない世界の空気があるなと思う。生の感情、感覚のまま体験して欲しい。それはいずれ薄れていくものなので。

Okamoto Naho

岡本 菜穂SIRI SIRI デザイナー

1981年東京都生まれ。ジュエリーデザイナー。自然由来かつ身の周りにある素材をデザインと工芸の力でジュエリーへと昇華させるブランド 「SIRI SIRI」 を2006年にスタート。現在はスイスを拠点に活動を行う。その功績は2015年第23回桑沢賞を受賞するほか、 2020年THE LUXURY INNOVATION AWARD(スイス)にてファイナリストに選出されるなど、国内外で評価されている。
https://sirisiri.jp/