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40歳 成人の日

40歳へのInterview

Midorikawa Hiromi

翠川 裕美KATALOKooo代表

作品の魅力を伝えるポートフォリオと売ることに特化したECサイト、そのふたつの機能を美しく搭載したウェブサイト構築サービス「KATALOKooo(カタロクー)」などの事業を手掛ける、翠川裕美さん。自己実現欲求はないとはっきり語る翠川さんは、誰かの夢や想いを「叶える」側の人間だとも言います。働くこと、誰かの役に立つことを続けてきたその先に、どんな未来を見据えているのでしょうか。

何か美しくて泣いちゃうとか、お気に入りのものがあって落ち着くとか、推しがいて充たされるとか、人間にはそういうことによってもっと豊かになれる素質があるはず

子どもらしい子どもじゃなかった

―― 着物での撮影、いかがでしたか?

それこそ20歳すぎで出会った岡本さん(SIRI SIRIデザイナー)と、一緒に撮影してもらってとても感慨深かったですね。子どもが3人いるんですが、それにもかかわらず振袖、しかも黒いレースの着物を選ばせてもらって。岡本さんにも「翠川らしい」といわれて、これが自分らしいのかと新鮮でした。

「娘が二十歳になって着物を選びたいと思ったとき、自分のときほどの選択肢は残っているんだろうか?」と急に思った

―― 普段着物を着る機会はありますか?

昨年娘と息子の七五三で、大学の卒業式以来、17年ぶりに着る機会があって、母の訪問着を借りて着ました。朝、着付けてもらって1日着る体験をしたら、「娘が二十歳になって着物を選びたいと思ったとき、自分のときほどの選択肢は残っているんだろうか?」と急に思ったんです。知らずにきた着物文化が急に気になり出し、着付けを習って、ちょうど一着仕立てたところです。会食に着物で参加すると喜んでもらえることも多くて、今後もどんどん着たいと目論んでいます。

―― ここ何年かは着る機会があったんですね。成人式は出られましたか?

成人式の日は振袖を着て、式には行かず友だちと明治神宮にお参りにいきました。海外の方にたくさん写真を撮られたのを覚えてます。

―― 式に参加されなかったのはなぜですか?

私立の学校に通っていたので、地元の友だちが少なくて。区切りのお祝いというよりも、振袖を仲のいい友だちと見せ合うような感じだったんじゃないかな。

―― 20歳という年齢は、自分にとって何か意味のあるものでしたか?

当時はまったく意味を感じず、意識もしていなかったですね。今思えば20歳のとき、渋谷のスターバックスでアルバイトに明け暮れていました。そのとき働くことの楽しさに取り憑かれたような気もします。

―― 20歳から大人だとは考えなかった?

昔からあまり子どもらしい子どもじゃなかったんですよね。周りの人、大人も子どもも関係なく顔色を伺うのが当たり前というか、先回りしちゃうような性格で。先生は手を上げてほしいと思ってるなという空気を読んで、答えがわかってなくてもまず手を上げると決めたり。そういうことに命をかけていました(笑)

希望しかない
自分たちの方は最強で、
これから世界を変えると
信じていました

働くことが自分の生き方にドハマリした

―― 妙なクセのある小学生ですね(笑)。大人になったなと思ったのはいつですか?

子どもが生まれた、32歳のときかな。この子の責任はすべて自分にあるなと思ったときはそう感じたかもしれません。あとは、大小問わず自分の責任のもと決裁権があるという状況が増え、周辺の人も決裁権のある立場になったことで一緒に色々なことができるぞと思ったときは、大人っぽいなあとぼんやり思ったりしますね。若い人に「なんでもやったことありますね」と言われると、年の功…って答えるんですけど、大人になったというのと似てる気もしますね。

―― 20歳の自分が思い描いていた大人はどんな人たちでしたか?

自分が大人になるというイメージがまずなかったですね。大人は全員おじさんとおばさんで、自分たちとは別の次元にいて、どこか希望を失ったような存在に見えていました。一方で希望しかない自分たちの方は最強で、これから世界を変えると信じていましたしね。とにかく、元気がないなーと思っていたというか。自分たちの世代で元気にするしかないなと勝手に思ってました。当時の私は、とにかく希望に満ち溢れた、やる気しかない20歳だったので。

―― とても晴れやかな20歳ですね。

ただ、器用貧乏というか、色んな事をそつなくこなせて、結果も悪くないんだけど、これといってのめり込むものはなかったんです。何かやる気だけは満ちている(笑)。そのやる気で何をやれば良いかわからなかった学生時代は、今思えば本当は辛かったのかもわかりません。これ!というもの、特にクリエイティブな才能のある子が輝いて見えて、うらやましかったですね。

―― コンプレックスに感じることはありましたか?

アウトプットをもって世界と勝負しなければいけないなんて無理…! と自分はあきらめた感じなので、そこで戦う覚悟に対しての敬意からの“推し”や憧れの感覚で、悔しいという感覚はまったくなかったです。

―― でもやる気は溢れ出ていたんですね…!

「才能がある人ってたくさんいる。私はその人たちをもっと輝かせたい。でもそんな仕事あるのかな」と考えていました。大学生になって部活や受験勉強もなくなり時間ができた。暇がきらいだったので、時間を埋めながらお金ももらえるという“アルバイト”を始めました。そうして働き始めたスターバックスで、やり場のなかったやる気がドハマリしました。自己実現欲求があまりないタイプで、人が喜ぶとか役に立つとか、そういうことが自分の成果として実感できることに気づき、やる気の発揮場所として急にピントがあった。

―― 自己実現欲求があまりないタイプだったんですね。こうなりたいなどの思いがなかったということでしょうか?

元々は人の反応や意見をかなり気にするタイプだったので、同級生相手に気を遣ってたんですよね。でも、小学生の頃に悩みすぎて、悩むことをやめたんです。悩むよりもすぐ行動することにしたことで、わかりやすく成果が見えるようになって、小さな成功、もしくは小さな失敗を積み重ねていくことで自分ができ上がってきた感じがあります。遠い先のなりたい自分とか夢みたいなものは昔から興味がなくて、行動と達成の先に、明るい未来が待っているに決まってるからやる、みたいな感じでした。

希望を諦めてない大人を相手に、
もしくは一緒に、人間の可能性にトライしようとしてる

希望がない人も、希望に満ち溢れた人もいる中で

―― 未来を信じていたわけですね。20歳の頃に思い描いていた大人と自分の距離はいかがですか? もしくはこの20年で思い描く大人像は更新されたりもしましたか?

大人は希望を失っているように見えたと言いましたけど、実際大人と言われる年齢になってみると、大人にも実際希望を失った人も、若い世代と希望を共有できる人もいて、グラデーションがあることがわかりました。社会に出て、多くはない希望を持ち続けている人をかき集めて一緒に何かやれたらと思うようになっていきましたね。

―― ゼロかイチかで考えていたものが、そうではない現実が見えてきたということですね。

希望0%と希望100%のどちらかだけじゃなくて、希望0%だとわかった上でもなお希望100%と信じて動いている人が、自分も含めてごく少数でもいることがわかったのは、それこそ自分にとっての希望です。少数派だとしても自分もそっち側なので、集まってとりあえずやるしかないよね、ということで、独立してそういう人たちと挑戦して取り組む事業を始めました。小学生の頃から、アウトプットより行動勝負だったので。小さな目標を作って達成できたら即そのボールを次の目標に投げてというやり方は、たまにどこに向かってるのかなと自分でも思うんですが、今はそういう希望を諦めてない大人を相手に、もしくは一緒に、人間の可能性にトライしようとしてるのかも。

―― 人間の可能性ですか?

何か美しくて泣いちゃうとか、お気に入りのものがあって落ち着くとか、推しがいて充たされるとか、人間にはそういうことによってもっと豊かになれる素質があるはずなんですよ。それはアートとかデザインとかカルチャーと呼ばれるものに多く存在していて、お金をかければ実現できる確率は高まりますけど、お金は必要条件じゃない。「誰かの心に作用するもの」=嗜好品に限定されて、所詮金持ちだけができる道楽と思われるのは悔しいし、腹立たしい。ひとりひとりが心身ともに健康で豊かになりたいという気持ちの問題で、もっとみんな楽しくなるし、生きやすくなるし、可能性は無限だと信じているんですね。効率を優先すると、手仕事はほぼいらないものになるし、ものを作る人が試行錯誤して進化していく時間も、誰かを喜ばせる工夫みたいなものも、いらないものになってしまう。それって文化的なものが非効率だから衰退していく、みたいなことでもあり、それは寂しい。そういったことに「も」目を向けることができるかが問われてますね。できるだけ多くの人に、非効率だとしても存在しているものの意味やおもしろさ、よろこびに気がついてもらえるよう、できることはなんでもやるというのが今のスタンスですね。きっかけになりうるトレンドは日々どこに転がっているかわからないので、キャッチするのに必死です。

プロデュースしたい人生

―― なるほど。多数派のものでもなく、ささやかかもしれないけど、それぞれの人がそれぞれを豊かさにしっかりリーチできるようにということなんですね。

そうです。結果的に、「誰かの日々を豊かにするものづくり」「誰かに希望を与えるクリエーション」がもっと多くの人に届くのには、ITだと思って創造と経営を両立するためのECプラットフォームとしてKATALOKooo(カタロクー)という事業を立ち上げたんです。一緒にお仕事をする相手が「想いのあるものを作っているか」を重要視し続けているので、自社の事業にかかわらず、上場していないスモールビジネスを手伝う仕事が最近は増えてきています。

―― 20歳から20年。これからどんなことをやっていきたいですか?

二十歳からの20年でいろいろやってきましたけど、「こんなことになるといいなぁと思って、20年続けていると確信できるくらいにはなる」というのは伝えたいですね。相変わらず自己実現に興味はないので、才能ある人をもっと輝かせて世の中に知らしめたい。なんならそのことで社会や世界を変えたい。何だか、プロデュースしたい人生です(笑)。

―― 三人のお子さんもいます。自分の仕事を通してこれからどんな社会や世界になるといいなと思いますか?

40歳になった今、完全に道半ばなんですよね。やっといい感じになってきたところ。それは、力と知恵をつけた仲間たちも増えてきたし、逆に明るい若い人ととは話があったりするし、みんなでもっと伸びていきたいです。
10年前は、女性がひとり独立企業しても「流行りのノマドでしょ」とか言われて、ロールモデルもいなかった。自分個人のアウトプットで勝負しないみたいな、分かりにくいやり方できてしまった所もあったと思います。一人目の長女を産んだ32歳あたりで、ロールモデルを探すのは諦めましたけど、周りの素晴らしい才能を持った人たちと、仕事をくれる先輩たちのおかげで事例ができてきました。当時は「女性社長」と取り上げられるのに違和感があって避けてきたんですけど、事実自分は女性ですし、母親ですし、女性向けの商品を作っている女性ターゲットのブランドや企業と関わることの方が圧倒的に多いこともあります。女性のクリエイターのブランドや、女性ターゲットの企業、女性に理解のある男性たちと仕事をして中和された世界を目指せると良いなと思っています。

成人の方々へのMessage

成人式を迎えたみなさん、おめでとうございます。20年前、どうして振袖を着るのか、どうしてみんながおめでとうといってくれるのか、わかりませんでした。でもね、いつの間にか本当におめでたい!と毎年ほくほく思うようになりました。それは、親戚の気持ちや親として目線を知ったからなのは関係なくて、希望しかない仲間がふえたうれしい!というようなことです。成人の日に、希望の気持ちをわけてもらっています。ようこそ大人へ!
成年年齢が今年から18歳に変わって4月には2学年下も「成人」ですが、今年の二十歳はみなさんだけ、二十歳の輝きは今だけ。二十歳たのしんで、そしてこれからは、一緒に大人をたのしみましょう!

Midorikawa Hiromi

翠川 裕美KATALOKooo代表

1981年東京都生まれ。スモールビジネスプロデューサー/ブランディングディレクター。2012年に独立、販促企画を事業とする株式会社シロアナを立ち上げる。2016年7月に株式会社モンキーブレッドを設立し、作家やブランドに対し、ECに特化したクリエイティブエージェント「KATALOKooo」を新規事業として立ち上げる。継続的な経済とクリエーションの両立を目指し活動している。
https://katalok.ooo

40歳 成人の日

40歳へのInterview

Midorikawa Hiromi

翠川 裕美KATALOKooo代表

作品の魅力を伝えるポートフォリオと売ることに特化したECサイト、そのふたつの機能を美しく搭載したウェブサイト構築サービス「KATALOKooo(カタロクー)」などの事業を手掛ける、翠川裕美さん。自己実現欲求はないとはっきり語る翠川さんは、誰かの夢や想いを「叶える」側の人間だとも言います。働くこと、誰かの役に立つことを続けてきたその先に、どんな未来を見据えているのでしょうか。

何か美しくて泣いちゃうとか、お気に入りのものがあって落ち着くとか、推しがいて充たされるとか、人間にはそういうことによってもっと豊かになれる素質があるはず

子どもらしい子どもじゃなかった

―― 着物での撮影、いかがでしたか?

それこそ20歳すぎで出会った岡本さん(SIRI SIRIデザイナー)と、一緒に撮影してもらってとても感慨深かったですね。子どもが3人いるんですが、それにもかかわらず振袖、しかも黒いレースの着物を選ばせてもらって。岡本さんにも「翠川らしい」といわれて、これが自分らしいのかと新鮮でした。

「娘が二十歳になって着物を選びたいと思ったとき、自分のときほどの選択肢は残っているんだろうか?」と急に思った

―― 普段着物を着る機会はありますか?

昨年娘と息子の七五三で、大学の卒業式以来、17年ぶりに着る機会があって、母の訪問着を借りて着ました。朝、着付けてもらって1日着る体験をしたら、「娘が二十歳になって着物を選びたいと思ったとき、自分のときほどの選択肢は残っているんだろうか?」と急に思ったんです。知らずにきた着物文化が急に気になり出し、着付けを習って、ちょうど一着仕立てたところです。会食に着物で参加すると喜んでもらえることも多くて、今後もどんどん着たいと目論んでいます。

―― ここ何年かは着る機会があったんですね。成人式は出られましたか?

成人式の日は振袖を着て、式には行かず友だちと明治神宮にお参りにいきました。海外の方にたくさん写真を撮られたのを覚えてます。

―― 式に参加されなかったのはなぜですか?

私立の学校に通っていたので、地元の友だちが少なくて。区切りのお祝いというよりも、振袖を仲のいい友だちと見せ合うような感じだったんじゃないかな。

―― 20歳という年齢は、自分にとって何か意味のあるものでしたか?

当時はまったく意味を感じず、意識もしていなかったですね。今思えば20歳のとき、渋谷のスターバックスでアルバイトに明け暮れていました。そのとき働くことの楽しさに取り憑かれたような気もします。

―― 20歳から大人だとは考えなかった?

昔からあまり子どもらしい子どもじゃなかったんですよね。周りの人、大人も子どもも関係なく顔色を伺うのが当たり前というか、先回りしちゃうような性格で。先生は手を上げてほしいと思ってるなという空気を読んで、答えがわかってなくてもまず手を上げると決めたり。そういうことに命をかけていました(笑)

希望しかない自分たちの方は最強で、これから世界を変えると信じていました

働くことが自分の生き方にドハマリした

―― 妙なクセのある小学生ですね(笑)。大人になったなと思ったのはいつですか?

子どもが生まれた、32歳のときかな。この子の責任はすべて自分にあるなと思ったときはそう感じたかもしれません。あとは、大小問わず自分の責任のもと決裁権があるという状況が増え、周辺の人も決裁権のある立場になったことで一緒に色々なことができるぞと思ったときは、大人っぽいなあとぼんやり思ったりしますね。若い人に「なんでもやったことありますね」と言われると、年の功…って答えるんですけど、大人になったというのと似てる気もしますね。

―― 20歳の自分が思い描いていた大人はどんな人たちでしたか?

自分が大人になるというイメージがまずなかったですね。大人は全員おじさんとおばさんで、自分たちとは別の次元にいて、どこか希望を失ったような存在に見えていました。一方で希望しかない自分たちの方は最強で、これから世界を変えると信じていましたしね。とにかく、元気がないなーと思っていたというか。自分たちの世代で元気にするしかないなと勝手に思ってました。当時の私は、とにかく希望に満ち溢れた、やる気しかない20歳だったので。

―― とても晴れやかな20歳ですね。

ただ、器用貧乏というか、色んな事をそつなくこなせて、結果も悪くないんだけど、これといってのめり込むものはなかったんです。何かやる気だけは満ちている(笑)。そのやる気で何をやれば良いかわからなかった学生時代は、今思えば本当は辛かったのかもわかりません。これ!というもの、特にクリエイティブな才能のある子が輝いて見えて、うらやましかったですね。

―― コンプレックスに感じることはありましたか?

アウトプットをもって世界と勝負しなければいけないなんて無理…! と自分はあきらめた感じなので、そこで戦う覚悟に対しての敬意からの“推し”や憧れの感覚で、悔しいという感覚はまったくなかったです。

―― でもやる気は溢れ出ていたんですね…!

「才能がある人ってたくさんいる。私はその人たちをもっと輝かせたい。でもそんな仕事あるのかな」と考えていました。大学生になって部活や受験勉強もなくなり時間ができた。暇がきらいだったので、時間を埋めながらお金ももらえるという“アルバイト”を始めました。そうして働き始めたスターバックスで、やり場のなかったやる気がドハマリしました。自己実現欲求があまりないタイプで、人が喜ぶとか役に立つとか、そういうことが自分の成果として実感できることに気づき、やる気の発揮場所として急にピントがあった。

―― 自己実現欲求があまりないタイプだったんですね。こうなりたいなどの思いがなかったということでしょうか?

元々は人の反応や意見をかなり気にするタイプだったので、同級生相手に気を遣ってたんですよね。でも、小学生の頃に悩みすぎて、悩むことをやめたんです。悩むよりもすぐ行動することにしたことで、わかりやすく成果が見えるようになって、小さな成功、もしくは小さな失敗を積み重ねていくことで自分ができ上がってきた感じがあります。遠い先のなりたい自分とか夢みたいなものは昔から興味がなくて、行動と達成の先に、明るい未来が待っているに決まってるからやる、みたいな感じでした。

希望を諦めてない大人を相手に、もしくは一緒に、人間の可能性にトライしようとしてる

希望がない人も、希望に満ち溢れた人もいる中で

―― 未来を信じていたわけですね。20歳の頃に思い描いていた大人と自分の距離はいかがですか? もしくはこの20年で思い描く大人像は更新されたりもしましたか?

大人は希望を失っているように見えたと言いましたけど、実際大人と言われる年齢になってみると、大人にも実際希望を失った人も、若い世代と希望を共有できる人もいて、グラデーションがあることがわかりました。社会に出て、多くはない希望を持ち続けている人をかき集めて一緒に何かやれたらと思うようになっていきましたね。

―― ゼロかイチかで考えていたものが、そうではない現実が見えてきたということですね。

希望0%と希望100%のどちらかだけじゃなくて、希望0%だとわかった上でもなお希望100%と信じて動いている人が、自分も含めてごく少数でもいることがわかったのは、それこそ自分にとっての希望です。少数派だとしても自分もそっち側なので、集まってとりあえずやるしかないよね、ということで、独立してそういう人たちと挑戦して取り組む事業を始めました。小学生の頃から、アウトプットより行動勝負だったので。小さな目標を作って達成できたら即そのボールを次の目標に投げてというやり方は、たまにどこに向かってるのかなと自分でも思うんですが、今はそういう希望を諦めてない大人を相手に、もしくは一緒に、人間の可能性にトライしようとしてるのかも。

―― 人間の可能性ですか?

何か美しくて泣いちゃうとか、お気に入りのものがあって落ち着くとか、推しがいて充たされるとか、人間にはそういうことによってもっと豊かになれる素質があるはずなんですよ。それはアートとかデザインとかカルチャーと呼ばれるものに多く存在していて、お金をかければ実現できる確率は高まりますけど、お金は必要条件じゃない。「誰かの心に作用するもの」=嗜好品に限定されて、所詮金持ちだけができる道楽と思われるのは悔しいし、腹立たしい。ひとりひとりが心身ともに健康で豊かになりたいという気持ちの問題で、もっとみんな楽しくなるし、生きやすくなるし、可能性は無限だと信じているんですね。効率を優先すると、手仕事はほぼいらないものになるし、ものを作る人が試行錯誤して進化していく時間も、誰かを喜ばせる工夫みたいなものも、いらないものになってしまう。それって文化的なものが非効率だから衰退していく、みたいなことでもあり、それは寂しい。そういったことに「も」目を向けることができるかが問われてますね。できるだけ多くの人に、非効率だとしても存在しているものの意味やおもしろさ、よろこびに気がついてもらえるよう、できることはなんでもやるというのが今のスタンスですね。きっかけになりうるトレンドは日々どこに転がっているかわからないので、キャッチするのに必死です。

プロデュースしたい人生

―― なるほど。多数派のものでもなく、ささやかかもしれないけど、それぞれの人がそれぞれを豊かさにしっかりリーチできるようにということなんですね。

そうです。結果的に、「誰かの日々を豊かにするものづくり」「誰かに希望を与えるクリエーション」がもっと多くの人に届くのには、ITだと思って創造と経営を両立するためのECプラットフォームとしてKATALOKooo(カタロクー)という事業を立ち上げたんです。一緒にお仕事をする相手が「想いのあるものを作っているか」を重要視し続けているので、自社の事業にかかわらず、上場していないスモールビジネスを手伝う仕事が最近は増えてきています。

―― 20歳から20年。これからどんなことをやっていきたいですか?

二十歳からの20年でいろいろやってきましたけど、「こんなことになるといいなぁと思って、20年続けていると確信できるくらいにはなる」というのは伝えたいですね。相変わらず自己実現に興味はないので、才能ある人をもっと輝かせて世の中に知らしめたい。なんならそのことで社会や世界を変えたい。何だか、プロデュースしたい人生です(笑)。

―― 三人のお子さんもいます。自分の仕事を通してこれからどんな社会や世界になるといいなと思いますか?

40歳になった今、完全に道半ばなんですよね。やっといい感じになってきたところ。それは、力と知恵をつけた仲間たちも増えてきたし、逆に明るい若い人ととは話があったりするし、みんなでもっと伸びていきたいです。
10年前は、女性がひとり独立企業しても「流行りのノマドでしょ」とか言われて、ロールモデルもいなかった。自分個人のアウトプットで勝負しないみたいな、分かりにくいやり方できてしまった所もあったと思います。一人目の長女を産んだ32歳あたりで、ロールモデルを探すのは諦めましたけど、周りの素晴らしい才能を持った人たちと、仕事をくれる先輩たちのおかげで事例ができてきました。当時は「女性社長」と取り上げられるのに違和感があって避けてきたんですけど、事実自分は女性ですし、母親ですし、女性向けの商品を作っている女性ターゲットのブランドや企業と関わることの方が圧倒的に多いこともあります。女性のクリエイターのブランドや、女性ターゲットの企業、女性に理解のある男性たちと仕事をして中和された世界を目指せると良いなと思っています。

成人の方々へのMessage

成人式を迎えたみなさん、おめでとうございます。20年前、どうして振袖を着るのか、どうしてみんながおめでとうといってくれるのか、わかりませんでした。でもね、いつの間にか本当におめでたい!と毎年ほくほく思うようになりました。それは、親戚の気持ちや親として目線を知ったからなのは関係なくて、希望しかない仲間がふえたうれしい!というようなことです。成人の日に、希望の気持ちをわけてもらっています。ようこそ大人へ!
成年年齢が今年から18歳に変わって4月には2学年下も「成人」ですが、今年の二十歳はみなさんだけ、二十歳の輝きは今だけ。二十歳たのしんで、そしてこれからは、一緒に大人をたのしみましょう!

Midorikawa Hiromi

翠川 裕美KATALOKooo代表

1981年東京都生まれ。スモールビジネスプロデューサー/ブランディングディレクター。2012年に独立、販促企画を事業とする株式会社シロアナを立ち上げる。2016年7月に株式会社モンキーブレッドを設立し、作家やブランドに対し、ECに特化したクリエイティブエージェント「KATALOKooo」を新規事業として立ち上げる。継続的な経済とクリエーションの両立を目指し活動している。
https://katalok.ooo