産地・鹿児島県 奄美大島
大島紬
大島紬の発祥
大島紬の起源には諸説ありますが、鹿児島では、奈良時代以前から養蚕が行われ、手で紡いだ糸で紬が生産されていました。その頃から、奄美に自生する車輪梅(テーチ木)を使った草木染めが行われていたと伝えられています。734年には、東大寺や正倉院の献物帳に「南島から褐色紬が献上された」との記録が残されており、これが現在確認できる最古の記録であると考えられます。
初期の大島紬は、手引きの真綿糸を用い、「地機」と呼ばれる原始的な織機で織り、島民が自ら着用していました。ところが、1720年には薩摩藩より「紬着用禁止令」が出されます。これにより島民が大島紬を着用することは許されず、薩摩藩への貢物として作られるようになりました。一説によると、その頃、奄美の島民が「薩摩藩の役人に見つからないように」と田んぼに着物を隠し、のちに引き上げてみたら黒く染まっていたことから、大島紬の要である「泥染め」が始まったという言い伝えもあります。
明治時代に入ると、大島紬は市場で取引が開始され、人気を博しました。それまでは、絹糸を芭蕉の糸で手括りして絣模様をつくっていましたが、明治40年頃からは「締機」(しめばた)による絣づくりが一般化し、絣模様の表現が広がりました。大島紬独特の精緻な絣は、締機の発明によって確立されたのです。
大島紬は、図案作成から、糸繰り・整経、のりはり、締機、染色、泥染め、機織りと、33もの工程を経てできあがります。その工程は分業制で、それぞれに専門の職人がおり、職人の手から手へと織物が渡っていくなかで、少しずつ完成形が浮かび上がってきます。1つの反物が完成するまでには、早いものでも10ヶ月以上の歳月がかかります。
「締機」、世界で唯一の絣の技術
「大島紬は2度織る」と言われる通り、完成までに2回、織りの工程が入ります。
1度目は、絣の模様を作るために行われる「締機」(しめばた)。絣とは、部分的に染めた経糸と緯糸を組み合わせてつくる文様のこと。通常は、絹糸を別の綿糸などで括ることで、その部分に染料が入り込まないようにしますが、大島紬では、織機を使って絹糸に綿糸を織り込んで「絣筵(かすりむしろ)」という織物をつくっていきます。それにより、他では見られない精緻な柄を作ることができるのです。
綿糸が織り込まれている部分は後に泥染めをした時に染料が入り込まず、絹の地色が白く残ります。反対に、綿糸がない部分は、絹糸が露出しているので、よく染まります。大島紬では染色の際に泥を強く揉み込むため、締機で力強く締めないと染料が染み込み、意図した通りの絣模様が出せません。それゆえに「締機」は昔から男性の仕事でした。
染色が終わったら、「絣筵」の綿糸はほどかれて再び絹糸の形に戻され、図案の通りに並べられます。
2度目は、実際に織物の形にする「機織り」です。中でも、伝統的に行われてきたのは、「一元式(ひともとしき)」という織り方。経絣糸2本、緯絣糸2本を使う「一元式」は、現在主流になっている経絣糸1本の「カタス式」よりも緻密で手間がかかるため、現在では、「一元式」が織れる織工は奄美でも数えるほどしかいません。完成した絣はきれいな風車型をしており、比べてみるとその差がよくわかります。
「泥染め」、奄美の自然が生んだ漆黒
「締機」を経た絹糸は、テーチ木と泥を使って染色します。奄美に自生している車輪梅(テーチ木)を大きな釜で2日間煎じると、工房全体に独特の鼻を突くような匂いが漂ってきます。この液に絹糸を漬けて力強く揉み込み、液を変えながら、20〜30回繰り返します。
泥染めに使うテーチ木は約600kg。山奥で伐採した幹をチップ状に砕き、釜に入れて煎じます。夏場は伐採から2週間ほどのうちに煎じなければ、いい染料にはなりません。テーチ木の質が泥染めの仕上がりを決めるのです。
その後、今度は絣筵を泥田に持っていき、泥を揉み込みます。膝まである泥田の中に入り、下に溜まった泥を足で攪拌させながら、中腰の姿勢で何度も力を込めてもみ叩くように染めていきます。決して楽な作業ではありませんが、この泥染めによってテーチ木のタンニンと泥の鉄分とが化学反応を起こし、美しい黒色に染まるのです。
泥田での作業が終わったら、川で泥を流し、再びテーチ木染めに戻ります。このサイクルは3、4回繰り返され、泥染めは延べ70〜100回行われます。
糸の周りに均一に染料が入る化学染料と異なり、泥染めはリング状に染料が付着していきます。それを何度も繰り返すことで、化学染料には決して出すことのできない、深みのある漆黒の輝きが生まれるのです。自然の染料ゆえに、3、40年経つと周囲が酸化し、徐々に茶褐色に変化していきます。その過程もまた、泥染めの魅力です。
最盛期は奄美大島に60〜70軒もあった泥染め工場ですが、今では数軒を残すばかりとなりました。当時からその多くが龍郷町に集中していたことから、龍郷町の地層が泥染めに適していたと考えられています。
「龍郷柄」と「秋名バラ柄」
大島紬のモチーフといえば「龍郷柄」が良く知られています。ハブの背模様と奄美に自生する蘇鉄の葉、ハイビスカスの花をモチーフにしたものです。もう一つが、カゴをモチーフにした「秋名バラ柄」です。竹で編んだザルのことを、奄美の方言で「サンバラ」と呼ぶことから、この名がつけられました。
大島紬の模様は、経糸と緯糸の絣を織り合わせることで生れます。織る際に常に一定の力をかけることで、経糸と緯糸がぴったりと合い、絣模様が浮き立つのです。力の加減は長年の経験がものをいうところ。乾燥に弱い絹糸を扱うため、真夏でもエアコンは禁物。数センチ織っては針を使って1本ずつ糸を直し、柄を整えていきます。1日に進むのは10〜30cmほどと、気の遠くなるような仕事です。
かつては奄美の島中に機織り機の音が響いていましたが、今ではその光景も珍しいものとなりました。奄美の自然が生んだ上品で美しい織物・大島紬。漆黒の輝きと、端正な模様には、大島紬に携わる職人たちの心意気が現れているかのようです。