ハタチのわたし Interview
蓮沼 千紘 / ニットアーティスト
2008年に文化服装学院ニットデザイン科を卒業後、大手アパレル企業でデザイナーとして勤務。2011年に独立し、学生時代に立ち上げたブランド「an/eddy」を本格始動。2014年には東京コレクションに参加。
独自の手法で多種多様な素材を“編む”ことで生まれる作品は、手編みならではの立体感と独特の色彩が特徴。服飾から空間装飾、インテリア、ワークショップまで幅広く手がけ、国内外で活動している。
選ばなかったはずの道が、
自分を開花させた。
ニット科は第一志望ではなかった。
けれど、“選ばなかった道”の先で、自分の可能性が大きく開いていった人がいる。
手を動かし続ける熱量。
勝ち負けではなく“自分に負けない”ためのまっすぐさ。
そして、人を支える優しさ。
蓮沼さんの作品からにじむあたたかさは、日々の積み重ねそのものでした。
迷いながらも進んできた20歳前後の時間には、未来を選び取るためのヒントが詰まっています。
誰とも比べない、負けず嫌いの本質
ーー蓮沼さんはご自身を「根性の人」とおっしゃいました。どんな子ども時代でしたか?
小さい頃から負けず嫌いで、気分屋で、かんしゃく持ち(笑)。やりたいと思ったことができないとイライラしてしまうタイプで、“やりたい”と思ったら即行動。
でも、誰かと比べるのではなく、「自分の思い描く形にできているか」が基準でした。
テストの点が悪くて「もっと低い子もいるし」と言い訳したら、父に「人と比べてどうするんだ」と叱られたこともあって。
幼い頃から“上だけを見ていればいい”という育てられ方だったので、自然と自分に対して負けず嫌いになりました。
バスケで磨かれた忍耐と、
ファッションへの直感
ーーファッションや服づくりはいつ頃から?
高校まではずっとバスケ一筋。厳しい部則の中でも、仲間と励まし合いながらひたむきに取り組んでいました。
一方で、小さい頃からファッションもものづくりも大好きでした。高校時代に「ファッションデザイナーになる!」という夢を掲げ、プリクラにも書いていました。
「an/eddy」というブランド名も高校の時に辞書で見つけて。「小さな渦」という意味なんですが、直感でこれだ!と。文化に入る前はミシンも使えず全部手縫いで友達に着てもらって撮影したりしていました。
文化に入ってからは、携帯サイトでアイテムを販売したり、友達と原宿や渋谷で“スナップ隊”をして、興味を持ってくれた人にサイトのURLを渡したり。
マーケティングというより、「これ面白いかも!」という直感で動いていました。

第一志望ではなかった“ニット科”へ
──挫折からの飛躍
ーーアパレルデザイン科ではなく、なぜニット科へ?
本当はアパレルデザイン科が第一希望でした。でも進級試験の日に体調を崩し、開始5分で退出することに。退出したら戻れない厳しいルールで、第二希望のニット科に進むことになりました。
当時はニットが嫌いで(笑)。“ほっこりした手芸っぽさ”が苦手で、学校を辞めるか本気で悩んだくらいです。
でも「辞めてどうする?」と自分に問い直し、“ニット科が第一希望でした!”という顔で進むことに。
そこで目標にしたのが「学院長賞を取ること」でした。
ーーそこから学院長賞受賞まで。何が変わったのでしょう?
ニット科に入ってみたら、思っていたよりずっと面白かったんです。
糸1本から色や素材を自由に組み合わせられる。そこで初めて自分が好きなのは“配色”や“素材の組み合わせ”だと気づきました。
「私、めちゃくちゃニットに合ってるじゃん!」って(笑)。
夢中になって、気づけば学院長賞に向けて毎日始発で学校へ。開校までマックで作業したり仮眠したり、帰宅してからも制作を続け、睡眠はソファで2時間ほど。
高校も文化も無遅刻無欠席。皆勤賞でした。
ーーそこまで努力できた理由は?
“やると決めたことを、自分に嘘をつかずにやる”。
誰に見られているわけでもないからこそ、手を抜くのが怖かった。
0か100かの性格で、やるならやり切らないと気が済まないんです。

社会で学んだこと
──“外の世界”を知る意味
ーー卒業後は大手アパレル企業へ。独立が見えていた中で、なぜ就職を?
既製服に興味はあまりありませんでしたが、外の世界を知らずに独立するのは違うな、と。家族の希望もあって就職しました。
3年間、布帛デザインを担当し、Tシャツ、シャツ、ワンピース、ジャケットなど幅広く経験しました。
ニットに携われないもどかしさはあったけれど、会社や社会の仕組みを知れたのは本当に大きかったですね。
ーー退職のとき、不安は?
全くありませんでした。悔いなく生きたいだけで、やり切ったら次へ進む。
ちょうどリサイクルやアップサイクルが注目され始めた時期で、無駄なく編める“ニットのロスの少なさ”にも改めて魅力を感じていました。

ハタチのあなたへ
まっすぐで、誠実で、直感に正直な蓮沼さん。
その姿勢は、これから大人になっていく人たちへのエールそのものだ。
ーーハタチへ向けて、どんなメッセージを伝えたいですか?
最近の学生さんを見ていると「ライフワークバランス」を早い段階から気にする子が多いなと感じます。もちろん大切だけれど、まだ“やりきって”いない段階で線を引いてしまうのは少しもったいない。
いまアトリエに来ている学生さんには、朝6時にマックで働いて、昼は美大で学び、夜はアトリエに来る子もいます。
大変だけれど、その積み重ねがのちに大きな壁を越える力になると感じています。
20歳までの経験は、振り返ればすごく限られています。
学校や家庭の枠だけで“正しさ”を決めず、もっと外の世界に触れてほしい。
つらい時は休んでいい。でも、「目の前の仕事が社会のどこにつながっているか」を考えられるようになると、仕事は自然と自分の人生の一部になると思います。その方がきっと楽しいですよね。
ーー改めて、蓮沼さんが大切にしているものは?
無意識の“感覚”です。
「なんとなく好き」「なんとなく気になる」──その“なんとなく”を無視しないでほしい。
直感は必ず自分をいい方向に連れていってくれる。
ハタチの頃って正解を探しがちだけれど、本当の正解は自分の中にしかありません。
怖さより「やってみたい」という気持ちを大事にしてほしい。
その積み重ねが、遠回りに見えても確実に“自分だけの道”につながります。
ーー最後に、蓮沼さんにとって“ニット”とは?
「編むという行為そのもの」。
糸と手を動かすことで生まれる世界が、私の表現の核になっています。

編集後記
編集後記
バスケで磨かれた忍耐力と、子どもの頃から変わらない直感。
迷いや不安よりも、「自分がおもしろいと思うこと」を信じて貫いてきた蓮沼さんの言葉にはエネルギーがあふれています。
創作は、孤独な営みに見えるかもしれません。
けれど蓮沼さんは、社会と無数の糸でゆるやかにつながっているのです。
編み目のように張り巡らされたアンテナが、多様な情報を受け取り、思いもよらないもの同士を結びつけ、新たな表現へと形を変えていく-。
いまは公共空間でのアートとしてのニット表現やワークショップなど、“誰かと共有するための創作”にも可能性を感じているといいます。
「ニットほど、その人の感覚や身体性が素直にあらわれるものはない。そこに生まれる“共有”や“肯定”は、健やかな心を育て、社会をていねいに繋いでいく力になるのかもしれない。」
蓮沼さんのまっすぐな芯は、自分に嘘をつかず、手を動かし続けてきた年月に裏打ちされたもの。
他者と比べず、未知の未来を恐れず、自分の中に正解を探す——。
そんな“未来を健やかに、今を強く生きぬく力”が詰まった一歩踏み出す勇気をもらえるインタビューでした。