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40歳 成人の日

40歳へのInterview

Inuyama Kamiko

犬山 紙子イラストエッセイスト

母の難病のため仕事を辞めて介護をする中、自分の夢を思い描いていた20代を経てエッセイストとしてデビューした犬山紙子さん。自虐的な視点が人気となりながら、その表現に違和感を覚えた犬山さんは、本や友人を通じて新しい自分に出会う。また、パートナーに怒りをぶつけてしまうことへの反省から、自分に向き合い、ありたい自分になるために努力を重ねてきた。常に客観的に自分を見つめながらも、自分の弱さをなかなか外に出せなかった犬山さんの20年。

ワクワクしています。
今の私より10年後の
私のほうが
絶対おもしろいから。

鏡を見てハッとした。

―― 普段、着物を着る機会はありますか?

残念ながら、ほとんどないんです。20歳の頃、着物の制服が羨ましくてしゃぶしゃぶ屋さんでアルバイトをしたことがあります。

―― 着物は少し遠い世界でしたか?

スナックのママをしている友人が着物をすごくきれいに着ているのを見て、美しいなあとずっと思っていました。ドレスアップする機会でも、着物だとぐっとかっこいい。そんな憧れはありつつも着物の「いろは」が分からず、何を買い揃えればいいのかも分からない。ただただ、憧れ、、、という感じでしたね。

―― 入り口のハードルの高さはちょっとありますよね。今日は着物を着てみていかがですか?

気が引き締まる感じがありますよね。40歳になったからなのか、いい貫禄が出たなあと思って。芯がちゃんと強そうだし、かといって柔らかくもある。ゆくゆくこういう貫禄が欲しいと思っていたので、着物を着ることで理想に近づけた感じがあって、自分で鏡を見てハッとしました。正直、40歳といっても気持ちは20代の頃とそんなに変わらなかったりするんですが、「私、大人だな」と思ってキューッと気が引き締まりました。

―― 20年前、成人式には出席されたんですか?

お姉ちゃんのお下がりの赤い振袖を着て、参加しました。高校の時の友だちに会いたい!と思って行った記憶がありますね。

―― 成人式にはどんな思い出がありますか?

そのころは地元の仙台に住んでいたんですが、振袖を着て友だちとプリクラを撮りましたね。

―― 成人式での犬山さんは、どんな感じだったんですか?

ギャルでしたね。ギャルど真ん中でした。

はじめて自分のためだけじゃない時間の使い方

―― ギャル、流行でしたね。そう考えると、この20年はすごい変化ですよね。どんな20歳でしたか?

20歳で、母親の難病が発覚したんです。それまでふわふわと生きてたのが、それをきっかけに、急に現実を見だしたタイミングだった気がします。家で介護をするようになって、自分のためだけじゃない時間の使い方をし始めた時でした。

―― 当時はどういう風に状況を考えていましたか?

お母さんのことがすごく好きだったのでショックだったけど、それを日常として受け入れるしかありませんでした。大学生活を送りながら介護をしていて、緩やかに病状が変わっていったんですね。車を運転できなくなり、動くのが緩慢になり、車椅子になり、脳梗塞になって寝たきりという風に。それに伴って介護の内容も変わっていきました。

―― 大学生をしながら、介護をされていく中で、自分の将来のイメージはありましたか?

お母さんの難病がわかる前は、東京の大学に編入して、東京の出版社で働きたいという夢があったんです。でも、お母さんの難病がわかって隣にいなきゃな、と。それは誰かに強いられたわけではなく、自分でそう決めました。それで仙台の大学に通い続け、後々仙台の出版社に就職したいなと思っていましたね。

遅いんですよ、
自分の人生が始まったのが。

基本ずっと不安だった20代

―― そこから20年経ちました。20代、30代、それぞれどんな10年でしたか?

20代はすっかり介護でしたね。大学を卒業して、地元で編集者の仕事を1年半やったんですけど、地方の編集なので何でも自分でやらなくちゃいけなくて、めちゃくちゃ忙しい。これをやりながら介護は無理だな…と思って辞めました。そこからは漫画家になりたい、文章を書く仕事をやりたいという夢を温めながら介護をして、ヘルパーさんが来てくれた時に、空いた時間でマンガを描いたり、ブログを書いたりしていました。やっと29歳の終わりで本を出してデビューをしたので、30代はようやく自分の人生を歩みだした時期です。遅いんですよ、自分の人生が始まったのが。

―― 29歳でのデビューはご自身では遅いと思われていたんですね?

そうですね。ただその分、早くに介護を経験したことで、その後の妊娠や子育てのときも、1人で抱えたら駄目になることを分かっていたのは大きかったですね。

―― 頼るべきところは頼った方が良いという気づきですね?

そうなんです。介護を経験したことで、子育て中に自分を労る目線を持てたんです。結果的に得たものはありつつも、仕事をしたいという思いが強かったから、すごく遅い出発だったなと思います。

―― どういう欲求の現れだったんでしょうか?

いろんな欲が混ざっていたと思います。社会と関わりたいし、自分の書いたものを評価してもらいたいという承認欲求もすごかった。あと、単純に書くのが好きでした。エッセイやマンガで幼少期を救われてきたみたいなところがあって、好きだから自分もやりたいという。

―― デビューまでは、いつか実を結ぶんだと思って続けられていたんですか?

いや、そこは正直結果です。運がよかったのもあると思います。当時わりと早めにツイッターを始めていて、フリーの編集者の方が私のブログを見てくれたことで本が出たという経緯もあって。

―― 偶然デビューできたという感じですか?

そうなんです。出版社へのマンガの持ち込みもしてしてたんですけど、この先があるのかなーとか考えていました。

―― では不安もありましたか?

介護中は基本ずっと不安でしたね。介護中のキャリアへの不安をちゃんと聞いてもらえる制度がほしいなあと今になって思います。

―― その不安はデビューして1冊目の本を出してからは消えましたか?

全然消えませんでしたねー。

―― この方向でやれる、と思えたのはいつ頃からなんですか?

いや、今もないですよ(笑)。今も不安ですけど、でもあの頃のような不安ではないんです。前は何が何でも次につなげなくちゃという気持ちでいっぱいでした。出版デビューと同時期になぜかテレビ出演があって、その後すぐレギュラーが決まったこともあって、どちらかというとテレビの仕事の方が順調だったんです。それが良かったかもしれないですね、二本の軸があって。怖いという気持ちは5年ぐらい続いたのかなあ。今も不安はありますけど、肩の力が抜けた感じですね。

―― 肩の力が抜けたきっかけは何ですか?

自分の中に思想というか、芯のようなものが生まれたからだと思います。20代は、思考停止してたと言ってもいいくらいな状態でした。とにかく自虐ばかりをやっていて、人を傷つけずに自分を傷つけているだけだからいいよねと思っていたんです。30歳を過ぎて、周りの素敵な友人女性と話をしたり、本を読んだりしている中で、「あれ、私がやってることってちょっと間違ってるんじゃないか」と感じ始めました。そこから私の目線は一方的じゃなかったかとか、弱い立場の人を切り捨てるようなことになってなかったかとか、少しずつ自分の中で反省をするようになりました。それってようやく芯が生まれたということなのかなって。

今は日常を機嫌よく
過ごせることを
大事にしたい。

「10年後の私のほうが絶対おもしろい」

―― 介護の20代、仕事、結婚、出産の30代ときて、どんな40代になりそうですか?

更年期が近いぞと(笑)。来たるべき更年期のために、最近ずっと調べてるんです。私、すっごい石橋を叩くタイプなんです。

―― 切実な問題ですよね。

そうなんです。30代はもうがむしゃらに仕事をして、子育てをしていました。一方で貪欲になった時期で、本を読んだり、勉強したり、人と会ったりする中で、自分に知性が生まれていくさまを実感できるのがすごく楽しくもありました。40代の10年で、さらに新しい社会が見えたり、知らなかったことを知れたりするであろうことがすごく楽しみです。ワクワクしています。今の私より10年後の私のほうが絶対おもしろいから。

―― 「10年後の私の方が絶対面白い」はとても良い言葉ですね。

そして、40代のテーマはケアかもしれません。自分で自分のことをケアできる人でもありたいし、自分の大切な人の力にもなりたい。30代前半まではとにかく刺激が欲しかったけど、今は日常を機嫌よく過ごせることを大事にしたい。家族だけじゃなく、すごく大事な友だちもできました。頻繁に会わなくても、たまに会っては友だちのことを好きだなって思いたいですね。

―― 大人になってからの友だちって、とてもいいですよね。犬山さんは、子どもの時の友だちと大人になってからの友だちって違いますか?

子どもの頃は、自己開示できない子だったんです。引っ込み思案とかじゃなくて、積極性はあるんだけど、自分の弱みを見せたくないから本音を言わない、言えない子どもでした。30代後半くらいからやっと自分の一番ダサイ部分やしんどい部分を信頼してる友だちに話せるようになって、それが私の中でめちゃくちゃ大きな出来事だったんです。

―― 一度自己開示してみたら、わりと心配は杞憂だったんですね?

大人になって、互いに傾聴し合いながら話せるように、コミュニケーションの仕方が成熟したんです。ある話をしても、私が傷つくことをこの人は絶対言わないという信頼できる相手が周りにたくさん増えて、私もその相手を傷つけることはしないぞという。

だから40代は
たくさん本を読みたいな。
いっぱい読んで、できたら自分で小さな物語とかも書けたらいいなと思っています。

本とゲームのある生活を

―― 結婚されたのが2014年。結婚や出産をどういう風に捉えていますか?

結婚制度に対してはお得パックだと思っています。結婚した方が制度的なメリットがあるっていうだけなんですけど、夫のつるちゃん(劔 樹人さん)となるべく上手く長く一緒にやっていきたいと思っていることと、それによって変わってきた自分というのはすごく大きなことでした。以前の私はわがままでインナーチャイルドが大暴れしていて、つるちゃんにしか見せない私がひどかったんです。特にすぐに怒ってしまう自分が嫌でした。正当な怒りは別として、なんで理不尽な怒り方をしちゃうんだろうって。つるちゃんを傷つけたくないし、長く一緒にやっていきたいのに家に帰ってきて怒ってばっかりの人は嫌だよねと。親になって、私が理不尽に怒ってる姿を子どもに見せ続けるのはよくないと考えて、結婚や妊娠のタイミングでちゃんと自分と向き合って変えなきゃと思って、ここまでやってきました。

―― 自分を変えるきっかけになったんですね。40歳を超えて、これからどんなことをしていきたいですか?

児童虐待をなくすための「こどものいのちはこどものもの」というチームとの活動が、私の中には大きな軸としてあります。それは死ぬまで続けたい。こんな活動をやらなくていい世の中になるのが一番なんですが、悲しいことにすぐなくなるものでもない。だから続けることがめっちゃ大事だと思っています。メンバーのことがめちゃくちゃ好きなので、無理せず長く啓発し続けられるようにやっていきたいですね。あともうちょっと子どもが大きくなって1人で遊んでくれるようになったら、本を読みたい! あとゲームも! とにかく本が積ん読状態で、そこには楽しい世界が広がっているのがわかっているにも関わらず読めていないのが本当に悔しい。だから40代はたくさん本を読みたいな。いっぱい読んで、できたら自分で小さな物語とかも書けたらいいなと思っています。

成人の方々へのMessage

20歳おめでとうございます!私も20歳の頃は若くて良かった……なんていうつもりは全くなく、年々人生、楽しくなっていっております。いいですよー!加齢!知性が成長して、歳を重ねるごとに好奇心は増すばかり。このままいくとおばあちゃんになった時の人生の楽しさがやばそうです。私はオタクなので、将来オタクおばあちゃん仲間でお茶飲みながら「あの作品は神だった」とか語り合う夢もあります。若いからできることを、ではなくてあなただから楽しんでできることをたくさん探して、好きで溢れる日々がおくれますように。そしてどうか「自分さえ我慢すればよい」とだけはさよならしてください。「誰かに頼ったらダメだ」ともさよならしてくださいね。自分の存在を否定するような人からは全力で逃げてください。そして、あなたの存在も肯定し、安全だと思える人とは良い関係を築いていってくださいね!

Inuyama Kamiko

犬山 紙子イラストエッセイスト

1981年大阪府生まれ。仙台のファッションカルチャー誌の編集者を経て、家庭の事情で退職。20代を難病の母親の介護をしながら過ごす。2011年、女友達の恋愛模様をイラストとエッセイで書いたブログ本を出版しデビュー。2014年に結婚、2017年に第一子を出産してから、児童虐待問題に声を上げるタレントチーム「こどものいのちはこどものもの」の立ち上げ、社会的養護を必要とするこどもたちに支援を届けるプログラム「こどもギフト」メンバーとしても活動中。

40歳 成人の日

40歳へのInterview

Inuyama Kamiko

犬山 紙子イラストエッセイスト

母の難病のため仕事を辞めて介護をする中、自分の夢を思い描いていた20代を経てエッセイストとしてデビューした犬山紙子さん。自虐的な視点が人気となりながら、その表現に違和感を覚えた犬山さんは、本や友人を通じて新しい自分に出会う。また、パートナーに怒りをぶつけてしまうことへの反省から、自分に向き合い、ありたい自分になるために努力を重ねてきた。常に客観的に自分を見つめながらも、自分の弱さをなかなか外に出せなかった犬山さんの20年。

ワクワクしています。
今の私より10年後の私のほうが絶対おもしろいから。

鏡を見てハッとした。

―― 普段、着物を着る機会はありますか?

残念ながら、ほとんどないんです。20歳の頃、着物の制服が羨ましくてしゃぶしゃぶ屋さんでアルバイトをしたことがあります。

―― 着物は少し遠い世界でしたか?

スナックのママをしている友人が着物をすごくきれいに着ているのを見て、美しいなあとずっと思っていました。ドレスアップする機会でも、着物だとぐっとかっこいい。そんな憧れはありつつも着物の「いろは」が分からず、何を買い揃えればいいのかも分からない。ただただ、憧れ、、、という感じでしたね。

―― 入り口のハードルの高さはちょっとありますよね。今日は着物を着てみていかがですか?

気が引き締まる感じがありますよね。40歳になったからなのか、いい貫禄が出たなあと思って。芯がちゃんと強そうだし、かといって柔らかくもある。ゆくゆくこういう貫禄が欲しいと思っていたので、着物を着ることで理想に近づけた感じがあって、自分で鏡を見てハッとしました。正直、40歳といっても気持ちは20代の頃とそんなに変わらなかったりするんですが、「私、大人だな」と思ってキューッと気が引き締まりました。

―― 20年前、成人式には出席されたんですか?

お姉ちゃんのお下がりの赤い振袖を着て、参加しました。高校の時の友だちに会いたい!と思って行った記憶がありますね。

―― 成人式にはどんな思い出がありますか?

そのころは地元の仙台に住んでいたんですが、振袖を着て友だちとプリクラを撮りましたね。

―― 成人式での犬山さんは、どんな感じだったんですか?

ギャルでしたね。ギャルど真ん中でした。

はじめて自分のためだけじゃない
時間の使い方

―― ギャル、流行でしたね。そう考えると、この20年はすごい変化ですよね。どんな20歳でしたか?

20歳で、母親の難病が発覚したんです。それまでふわふわと生きてたのが、それをきっかけに、急に現実を見だしたタイミングだった気がします。家で介護をするようになって、自分のためだけじゃない時間の使い方をし始めた時でした。

―― 当時はどういう風に状況を考えていましたか?

お母さんのことがすごく好きだったのでショックだったけど、それを日常として受け入れるしかありませんでした。大学生活を送りながら介護をしていて、緩やかに病状が変わっていったんですね。車を運転できなくなり、動くのが緩慢になり、車椅子になり、脳梗塞になって寝たきりという風に。それに伴って介護の内容も変わっていきました。

―― 大学生をしながら、介護をされていく中で、自分の将来のイメージはありましたか?

お母さんの難病がわかる前は、東京の大学に編入して、東京の出版社で働きたいという夢があったんです。でも、お母さんの難病がわかって隣にいなきゃな、と。それは誰かに強いられたわけではなく、自分でそう決めました。それで仙台の大学に通い続け、後々仙台の出版社に就職したいなと思っていましたね。

遅いんですよ、
自分の人生が始まったのが。

基本ずっと不安だった20代

―― そこから20年経ちました。20代、30代、それぞれどんな10年でしたか?

20代はすっかり介護でしたね。大学を卒業して、地元で編集者の仕事を1年半やったんですけど、地方の編集なので何でも自分でやらなくちゃいけなくて、めちゃくちゃ忙しい。これをやりながら介護は無理だな…と思って辞めました。そこからは漫画家になりたい、文章を書く仕事をやりたいという夢を温めながら介護をして、ヘルパーさんが来てくれた時に、空いた時間でマンガを描いたり、ブログを書いたりしていました。やっと29歳の終わりで本を出してデビューをしたので、30代はようやく自分の人生を歩みだした時期です。遅いんですよ、自分の人生が始まったのが。

―― 29歳でのデビューはご自身では遅いと思われていたんですね?

そうですね。ただその分、早くに介護を経験したことで、その後の妊娠や子育てのときも、1人で抱えたら駄目になることを分かっていたのは大きかったですね。

―― 頼るべきところは頼った方が良いという気づきですね?

そうなんです。介護を経験したことで、子育て中に自分を労る目線を持てたんです。結果的に得たものはありつつも、仕事をしたいという思いが強かったから、すごく遅い出発だったなと思います。

―― どういう欲求の現れだったんでしょうか?

いろんな欲が混ざっていたと思います。社会と関わりたいし、自分の書いたものを評価してもらいたいという承認欲求もすごかった。あと、単純に書くのが好きでした。エッセイやマンガで幼少期を救われてきたみたいなところがあって、好きだから自分もやりたいという。

―― デビューまでは、いつか実を結ぶんだと思って続けられていたんですか?

いや、そこは正直結果です。運がよかったのもあると思います。当時わりと早めにツイッターを始めていて、フリーの編集者の方が私のブログを見てくれたことで本が出たという経緯もあって。

―― 偶然デビューできたという感じですか?

そうなんです。出版社へのマンガの持ち込みもしてしてたんですけど、この先があるのかなーとか考えていました。

―― では不安もありましたか?

介護中は基本ずっと不安でしたね。介護中のキャリアへの不安をちゃんと聞いてもらえる制度がほしいなあと今になって思います。

―― その不安はデビューして1冊目の本を出してからは消えましたか?

全然消えませんでしたねー。

―― この方向でやれる、と思えたのはいつ頃からなんですか?

いや、今もないですよ(笑)。今も不安ですけど、でもあの頃のような不安ではないんです。前は何が何でも次につなげなくちゃという気持ちでいっぱいでした。出版デビューと同時期になぜかテレビ出演があって、その後すぐレギュラーが決まったこともあって、どちらかというとテレビの仕事の方が順調だったんです。それが良かったかもしれないですね、二本の軸があって。怖いという気持ちは5年ぐらい続いたのかなあ。今も不安はありますけど、肩の力が抜けた感じですね。

―― 肩の力が抜けたきっかけは何ですか?

自分の中に思想というか、芯のようなものが生まれたからだと思います。20代は、思考停止してたと言ってもいいくらいな状態でした。とにかく自虐ばかりをやっていて、人を傷つけずに自分を傷つけているだけだからいいよねと思っていたんです。30歳を過ぎて、周りの素敵な友人女性と話をしたり、本を読んだりしている中で、「あれ、私がやってることってちょっと間違ってるんじゃないか」と感じ始めました。そこから私の目線は一方的じゃなかったかとか、弱い立場の人を切り捨てるようなことになってなかったかとか、少しずつ自分の中で反省をするようになりました。それってようやく芯が生まれたということなのかなって。

今は日常を機嫌よく過ごせることを大事にしたい。

「10年後の私のほうが絶対おもしろい」

―― 介護の20代、仕事、結婚、出産の30代ときて、どんな40代になりそうですか?

更年期が近いぞと(笑)。来たるべき更年期のために、最近ずっと調べてるんです。私、すっごい石橋を叩くタイプなんです。

―― 切実な問題ですよね。

そうなんです。30代はもうがむしゃらに仕事をして、子育てをしていました。一方で貪欲になった時期で、本を読んだり、勉強したり、人と会ったりする中で、自分に知性が生まれていくさまを実感できるのがすごく楽しくもありました。40代の10年で、さらに新しい社会が見えたり、知らなかったことを知れたりするであろうことがすごく楽しみです。ワクワクしています。今の私より10年後の私のほうが絶対おもしろいから。

―― 「10年後の私の方が絶対面白い」はとても良い言葉ですね。

そして、40代のテーマはケアかもしれません。自分で自分のことをケアできる人でもありたいし、自分の大切な人の力にもなりたい。30代前半まではとにかく刺激が欲しかったけど、今は日常を機嫌よく過ごせることを大事にしたい。家族だけじゃなく、すごく大事な友だちもできました。頻繁に会わなくても、たまに会っては友だちのことを好きだなって思いたいですね。

―― 大人になってからの友だちって、とてもいいですよね。犬山さんは、子どもの時の友だちと大人になってからの友だちって違いますか?

子どもの頃は、自己開示できない子だったんです。引っ込み思案とかじゃなくて、積極性はあるんだけど、自分の弱みを見せたくないから本音を言わない、言えない子どもでした。30代後半くらいからやっと自分の一番ダサイ部分やしんどい部分を信頼してる友だちに話せるようになって、それが私の中でめちゃくちゃ大きな出来事だったんです。

―― 一度自己開示してみたら、わりと心配は杞憂だったんですね?

大人になって、互いに傾聴し合いながら話せるように、コミュニケーションの仕方が成熟したんです。ある話をしても、私が傷つくことをこの人は絶対言わないという信頼できる相手が周りにたくさん増えて、私もその相手を傷つけることはしないぞという。

だから40代はたくさん本を読みたいな。いっぱい読んで、できたら自分で小さな物語とかも書けたらいいなと思っています。

本とゲームのある生活を

―― 結婚されたのが2014年。結婚や出産をどういう風に捉えていますか?

結婚制度に対してはお得パックだと思っています。結婚した方が制度的なメリットがあるっていうだけなんですけど、夫のつるちゃん(劔 樹人さん)となるべく上手く長く一緒にやっていきたいと思っていることと、それによって変わってきた自分というのはすごく大きなことでした。以前の私はわがままでインナーチャイルドが大暴れしていて、つるちゃんにしか見せない私がひどかったんです。特にすぐに怒ってしまう自分が嫌でした。正当な怒りは別として、なんで理不尽な怒り方をしちゃうんだろうって。つるちゃんを傷つけたくないし、長く一緒にやっていきたいのに家に帰ってきて怒ってばっかりの人は嫌だよねと。親になって、私が理不尽に怒ってる姿を子どもに見せ続けるのはよくないと考えて、結婚や妊娠のタイミングでちゃんと自分と向き合って変えなきゃと思って、ここまでやってきました。

―― 自分を変えるきっかけになったんですね。40歳を超えて、これからどんなことをしていきたいですか?

児童虐待をなくすための「こどものいのちはこどものもの」というチームとの活動が、私の中には大きな軸としてあります。それは死ぬまで続けたい。こんな活動をやらなくていい世の中になるのが一番なんですが、悲しいことにすぐなくなるものでもない。だから続けることがめっちゃ大事だと思っています。メンバーのことがめちゃくちゃ好きなので、無理せず長く啓発し続けられるようにやっていきたいですね。あともうちょっと子どもが大きくなって1人で遊んでくれるようになったら、本を読みたい! あとゲームも! とにかく本が積ん読状態で、そこには楽しい世界が広がっているのがわかっているにも関わらず読めていないのが本当に悔しい。だから40代はたくさん本を読みたいな。いっぱい読んで、できたら自分で小さな物語とかも書けたらいいなと思っています。

成人の方々へのMessage

20歳おめでとうございます! 私も20歳の頃は若くて良かった……なんていうつもりは全くなく、年々人生、楽しくなっていっております。いいですよー! 加齢! 知性が成長して、歳を重ねるごとに好奇心は増すばかり。このままいくとおばあちゃんになった時の人生の楽しさがやばそうです。私はオタクなので、将来オタクおばあちゃん仲間でお茶飲みながら「あの作品は神だった」とか語り合う夢もあります。 若いからできることを、ではなくてあなただから楽しんでできることをたくさん探して、好きで溢れる日々がおくれますように。 そしてどうか「自分さえ我慢すればよい」とだけはさよならしてください。「誰かに頼ったらダメだ」ともさよならしてくださいね。自分の存在を否定するような人からは全力で逃げてください。そして、あなたの存在も肯定し、安全だと思える人とは良い関係を築いていってくださいね!

Inuyama Kamiko

犬山 紙子イラストエッセイスト

1981年大阪府生まれ。仙台のファッションカルチャー誌の編集者を経て、家庭の事情で退職。 20代を難病の母親の介護をしながら過ごす。 2011年、女友達の恋愛模様をイラストとエッセイで書いたブログ本を出版しデビュー。 2014年に結婚、2017年に第一子を出産してから、児童虐待問題に声を上げるタレントチーム「こどものいのちはこどものもの」の立ち上げ、社会的養護を必要とするこどもたちに支援を届けるプログラム「こどもギフト」メンバーとしても活動中。