神戸、ファミリア、別品博覧会



創業者のひとりである坂野 惇子(ばんのあつこ)様をヒロインモデルにした朝の連続テレビ小説「べっぴんさん」のスタートを前に、ファミリア社長 岡崎忠彦 様と弊社会長の矢嶋が、神戸の文化、ファミリアと子育て文化論、「神戸別品博覧会」への想いを語ります。(2016年9月21日)


神戸別品博覧会


神戸という街と文化

矢嶋:ファミリア創業者のひとり坂野惇子さんをテーマにした「べっぴんさん」が始まりますが、お孫さんで5代目社長の岡崎さんに話を伺おうと思います。
   最初に岡崎さんから見て、神戸はどういう街ですか。

岡崎:横浜はアメリカの文化、神戸はヨーロッパの文化が流れ着いてできた街です。

矢嶋:それは初めて聞きました。確かに久里浜に来て開港を要求したのはアメリカ人のペリーでした。横浜はアメリカの街で、神戸の異人はヨーロッパ人なのですね。

岡崎:神戸の食文化はロシアもあればドイツ、イギリス、オランダと様々混ざっていて、小さな港町ですが複数の文化を受け入れる要素があったのでは、と思います。

矢嶋:横浜のハイカラ感にはつくられた洗練さがありますが、神戸は多種多様なものを受け入れて新しいものを創ろうとする「るつぼ」のようなイメージがあります。

岡崎:神戸は「ポートピア’81」が開催された1981年をピークに、文化度的地位が落ちていったと危惧しています。当時はニュージャージー、ロッテルダムに次いで世界ナンバー3の港でしたが、今では50位台。船から飛行機への変化に神戸は乗り遅れました。過去の成功体験に満足し、更に阪神・淡路大震災の影響で地位がここまで落ちてしまいました。3年程前のブルータスの統計で、神戸が「面白い街」で35位だったのはショックでした。良いものを受け入れる文化は残っているのですが、コンテンツの鎖国状態になっていて、とても勿体ないと思います。

矢嶋:横浜は概ね大東京化していますが、神戸は決して大大阪化していませんよね。量の文明に対し独自の質を持っているのが文化ですから、神戸の文化性はしっかりしていると思います。ただそれがどういう文化性なのか、がいまひとつ見えてこない気がします。

岡崎:日本で最初に始まったものは、実は神戸発が多いのです。ゴルフ、ジャズ、カクテル、洋服、パーマ、ソーダ、カラオケ、ボーリング、と挙げたらきりがありません。外国の文化を取り入れて発信していった企業も神戸発が多いのですが、ナショナルブランド化することでそこから離れていった。新しいもの好きのきらいがあると思いますが、今の東京集中型になって神戸は日々田舎化している気がします。

矢嶋:一極集中化すればするほど東京は仕事をする街になり、暮らしたり楽しんだりする街では無くなりつつあります。だからわざわざ来るわけですよ、「そうだ、京都行こう」のように。よく京都・大阪・神戸の「三都物語キャンペーン」がありますが、東京の人には三都物語よりストレートに神戸の魅力はこうだ、と発信した方がいい。京都の神社、仏閣、千年の都、大阪の庶民的な食い倒れに対し、神戸はある種の異国的神秘性を持っているからです。しかし京都や大阪のような分かりやすいアイデンティティが、今の東京人には伝わっていません。

岡崎:昔は神戸の履き倒れ、京の着倒れ等特徴がありましたが、今はブランドが皆一緒になってしまって、神戸発のファッション自体がだんだん薄れたかなと。パワーが最終的に東京にいってしまって、異国情緒漂う雰囲気は無くなりました。

矢嶋:異人館も30年くらい前のブームですよね。その後がどうなっているかです。

岡崎:後が続かず、陳腐化してしまいます。箱を作っても常に新しいことをやり続けねば文化は続かない。受け入れる文化はあっても、そこから育つものがなければそれだけで終わってしまうのではないかと思います。

矢嶋:新しいもの好きの引き金となるのはヨーロッパという多国籍であり、だからこそ様々な文化が入ってくる。ドイツとポルトガルとでは文化が全く違う。それらを大阪のような貪欲さではなく、上品でスマートなものに化けさせていくエネルギーやセンス、それが30~40年前には神戸にあったと思うのですが、何故無くなっていったのでしょうか。



ファミリア社長 岡崎忠彦氏

岡崎:港町に空港ができ、情報の流れ方が変わったからだと思いますね。ポートピア’81が開催された1981年には「株式会社神戸」と言われるくらい強力な企業がありました。それが過去の成功体験にしがみついたことで崩れた。もう一度成功体験を作らなくてはいけないと思います。

矢嶋:かつては放っておいても情報が入ってきたのに、港 から空港になって必ずしもそうではなくなってきたのですね。

岡崎:戦前で言えば住吉村という財界人の暮らす住宅地が あって、住みやすい場所だったことから文化が生まれました。戦後の発展の仕方には闇市があり、高架下はまだ残っています。街で言えば、山と海の距離が非常に近く、何処からでも海が見える独特のつくりが神戸の良いところだったのですが、今は高層マンションで景色が悪くなりました。


矢嶋:神戸というと須磨や明石の風光明媚な印象があります。

岡崎:港町なので船に乗っていた船員がレストランを始めたり、海外の文化を体験した人々が個々に上陸して住んでいた。だから伝え聞いた情報ではなく、リアルな文化が混ざったのです。日本初のモスクや、色々な宗教が一気に体験できる教会のストリートもありますし、レガッタクラブという日本で最初の外人クラブもあります。これからこの街がどうなっていくのか、を考えた時に、次の行動が出ないのが勿体ないと思います。

矢嶋:まだ残っているものを上手く繋げていけば、点から線、面、そして空間になり、その中に古い時間と新しい時間が混ざっていきます。

岡崎:神戸人だけで考えるのではなく、神戸人の持っているものを客観的に見てもらう中で繋げていけば、可能性が出てくると思います。

矢嶋:地域の活性化が日本全国で言われていますが、それは地域に元々あったいくつかの埋め込まれた点を線に繋げ、その線と線を面という二次元にしていくことです。そこにある種の空間性というか「気」をつくり、その空間にいることで心地よさや価値観を感じるようになる。そこへ更に昔から今までの時間が流れていくと、地域が再構築できるのではないでしょうか。今兵庫県の城崎では、色んな人が城崎をもっといい街にしようと、そういう動きをしているように思います。
   京都に行く人が多いのは、そこにいるだけで独特の匂いがあり、時間が流れているのを感じるわけです。歴史的には奈良や、更に飛鳥の方がもっと古いコンテンツがあるはずなのに、それが成功していないがために点で終わっています。

岡崎:神戸はコンテンツが多すぎて贅沢だと思います。それに慣れっこになっていて進化しないし、日常にあるから「灯台下暗し」で本当に良いものを持っているのに気づかない。サンフランシスコにいた時に初めて神戸は田舎だな、と感じることがありました。サンフランシスコは常にサブカルチャーが起こる街で、非常に似ているところもあります。ヒッピーやゲイ、シリコンバレー、と新しいコンテンツを受け入れる力がありますし、10年くらい前から街が綺麗になっているんですね。世界中の市電の車両が走っていて、とてもロマンティックです。建物の規制もあり、至る所で街のデザインができています。元々サンフランシスコはフェリーで行き来していたのですが、フェリー・ビルディングに良いコンテンツを入れ、最高のレストランが全て入っているように、とかです。

矢嶋:30年くらい前ですが、ピア39もサンフランシスコから始まり、それがニューヨークに飛び火してサウス・ストリート・シーポートになり、全米に広がったわけですからね。

岡崎:今はピアではなく、フェリー・ビルディングです。水回りが綺麗ですから、そこにまず食を持ってきます。シェパニースというレストランには、それぞれの食材に全部係がいます。たとえばチキン担当、野菜担当、ワイン担当、パン担当と、それぞれのネットワークで仕入れをするので、高くはないが美味しいものが入ります。そのコンセプトを今度はフェリー・ビルディングが取り入れるようです。

矢嶋:個人の成功体験を地域にどんどん拡げていくということですか。

岡崎:地産地消をずっと掲げていて、週末にはファーマーズマーケットがあり、一流のレストランが使っている一流の食材を普通に買える。スーパーマーケットとは全く反対の方向でプロフェッショナルがちゃんと集まる、ということだと思います。

矢嶋:そういう市場は北欧の再開発で今また出てきていますね。アメリカのファーマーズマーケットよりも小規模で、食べさせるところと一緒になっており、専門性がとても高い。それが街おこしの目玉にもなっています。ビルバオやサンセバスチャンは成功事例を街や地域で共有して、その街全体に一つのコンテンツとしてつくっています。サンセバスチャンのフィンガー・フーズは期待したほどではなかったですが、街を歩きながらスタンディングで食べ歩くのが楽しい、という雰囲気をうまくつくったと思います。
   ビルバオも20年前までは荒れ果てた工業都市でしたが、街に緑をひいて市電を走らせ、グッゲン・ハイムを誘致したらあっという間に文化都市になった。都市ですら20年で変えられるのなら、企業はもっと早く変えられると思いましたね。
   神戸はコンテンツが多すぎる、と言われましたが、京都は同様に多くともあれだけの集積があると人が勝手に集まります。ですが同じ京都でも「きもの」となると、京友禅と言っても何だかわからない。なんとなく綺麗なきものの模様、くらいのイメージしかない。今全国のきもの産地を訪れ、京都なら京友禅、東京なら江戸小紋等、象徴的なものからつくり直す努力をしよう、と話しています。いくつかの神戸のコアコンテンツをもう一度掘り起こして、点と点を結び立ち上げた空間に独特の「気」を入れ、神戸開港150年を入れていったら、今までの伝統をふまえた新しい神戸ができる気がします。


ファミリアが生まれた必然

岡崎:戦後に預金封鎖が起きた時、坂野惇子の父である佐々木八十八が、「もう時代は変わってしまった、女性も働くべきだ」と言ったそうです。そして彼女が会社を創る時に、八十八は「やるからには、ちゃんと残るものをつくりなさい」と言い渡しました。
   ファミリアという社名の由来は、坂野惇子が子どもと母親に向けた家族的な社名をつけたい、と考えていた時、たまたま出会った外国人に「あなたの国の言葉で家族は何と言いますか?」と尋ねまして。その答えがファミリアでした。彼女はその響きの親しみやすさを気に入り、決定したそうです。そして昭和25年4月12日、レナウン・サービスステーションの跡地に「ベビーショップ・ファミリア」を開店させました。会社を続けていくには良い名前が大事で、ファミリアという今の時代でも使える名前に感謝しています。創業時の社名を、今も屋号として持てるのは幸せなことです。
   ファミリアは古い会社ですが、もう一度再構築したいと思って今のスタイルに変えました。「コンテンツって何」に対して、「ファミリアは育児法でできた会社ですよね」という矢嶋会長の答えが、社員には響きましたね。

矢嶋:それはファミリアの「上品な上質」を読んだ時、最初に思ったことです。洋服をファッションとしてではなく、子どもに対する育児として捉えるのは、恐らく今までに無いと思います。文化が混ざって新しい価値を生み出していく神戸でファミリアという企業が生まれたこと、一人ではなく異なる生活環境で過ごした何人かの女性たちが集まり、新しい「るつぼ」ができたことは、必然だったのではないでしょうか。

岡崎:祖母の坂野惇子は元々岡本にある外国人村に住んでいました。そこには住み込みナースがいて、ドイツ式やアメリカ式の育児法を実体験で学んだそうです。食文化と同様、やはり神戸は色々な文化が混じり合っていたのです。

矢嶋:神戸に複数国の育児文化があった、とはとても興味深い話ですね。神戸にはドイツやイギリス、アメリカ等の複数の育児文化がある。たとえば日本では、普通赤ちゃんを仰向けに寝かせますが、アメリカではうつ伏せに寝かせる、と聞いて驚いた記憶があります。

岡崎:ドイツは靴にこだわりがありますね。しっかりした脚を育てるため赤ちゃんにも硬い革靴を履かせる、というドイツ由来の習慣もあります。

矢嶋:ごく自然にいくつもの育児文化に触れられる環境があったことが原点ですね。

岡崎:祖母のクラスメイトが田村江つ子さんで、彼女もとてもセンスが良く、お孫さんは日本が誇るトップデザイナーの田村奈穂さんです。センスは脈々と受け継がれていくものだと感じています。

矢嶋:田村さんのセンスが良かったのも、外国から入ってきたファッションやライフスタイルを自然に見ていたからなのでしょうね。

岡崎:また祖母は子どもの頃からいつも良い服を着ていたのですが、公立の小学校の同級生と違うのが嫌で、良いセーターをボロボロにして学校に行っていたそうです。現状あるものを、それに満足せず少しアレンジすることを当時からやっていたんですね。

矢嶋:お華で言えば、いけばなは今から1500年ほど前に中国から伝わり、当時から仏様に花を供える「仏前供花」の風習がありました。今でも中国にその風習はありますが、「いけばな」の形にはならなかった。同じ頃、日本にお茶も入ってきましたが、中国ではやはり「茶道」にはならなかった。きもので言えば、「呉服」とも呼ばれる通り2000年前の「呉」の時代がルーツです。しかし中国には「呉服」が無くなり、日本はそれを「きもの」という独自の形にした。当時の先進文化が中国から伝来して、日本という島国で独自のるつぼになって煮詰められていきました。それが「華道」、「茶道」、「きもの」なんです。今伺った神戸の話はその戦後版で、明治維新以降に 伝来した世界の文化の受け入れ方と同じだと思います。何かをそのまま受け入れるのではなく、変えていくことでその形が残っていく。結果、世界にない「華道」「茶道」「きもの」という独特の文化が生まれたのです。

岡崎:今の世の中はそれがウェブによって、どこも一緒になってしまったように思えます。その中でどう独自性を出すか、が重要です。

ファミリア社長・岡崎忠彦氏とやまと会長・矢島孝俊

子育て文化論

矢嶋:リニューアルしたファミリア神戸元町本店を見ましたが、懐かしいと同時に、アップリケや刺繍等、とても「手作り感」を感じました。この「手作り感」は坂野さんや田村さんが体験した「育児」に繋がるものでしょう。「育児」ほど、手作りでしかできないものはないですから。動物のように産まれて数時間で立ち上がるのとは違い、人間は十月十日お母さんのお腹の中で育てられ、歩き始めるまでは生まれ出てから1年近くの時間がかかります。その間、ずっと手をかけて育てるのですから、「育児」は元々手のかかるものなのです。「育児」から出発したファミリアの子ども服や靴が、手のかかる文化として「手作り感」のあることがとても大事だと思いました。

岡崎:「育児法」から始まった会社であるプライドと「手作り感」は大事にしたいと思っていますし、妊娠してからの1000日間は一番大事な時期なので、「for the first 1000 days」のコンセプトだけは崩さない企業でありたいと思っています。服だけをつくっていればいい時代は終わったので、「良いものは長く使える」というこだわりは捨てずに、周辺のコンテンツを合体させてブランド価値を高めていきたいです。

矢嶋:アップリケや刺繍は無くてもいい、と言う人もいるかもしれませんが、子どもを育てること自体が「手間暇かかる文化」ですから、できるだけ「手作り感」のあるファミリアの子ども服を着せることが、子どもの情操教育にも役立つと思っています。大人になってから思い出すことはたくさんあって、味噌汁やカレーの味が家庭ごとにあるように、母親の思い出と言えば手作りのものです。それこそが「ファミリアの子育て文化論」によってつくられた子ども服に通じるものではないでしょうか。「子育て文化」という言葉を、一つの意志を持って日本で初めて使った企業が、ファミリアだと思います。

岡崎:服を着ていく場所をどう作っていくか、も非常に大事です。ファストファッションとは別に、文化であるためにレベルが高くなければ残っていけない。「食感」があるように、「肌の触り心地」は体感しないとわからないものです。特に赤ちゃんは話せないので、本物を与えて健やかに育てていくことを、私たちがやらなければならないと思っています。

矢嶋:アメリカやヨーロッパの小説を読んでいると、between the sheets、つまり「ホテルの清潔に洗われたリネンに包まれて寝たかった」といったフレーズが出てきます。私が子どもの頃の日本にはこの感覚はありませんでしたが、アメリカやヨーロッパの子どもたちには、リネンのシーツやテーブルウエアに対して使い捨てではなく文化を感じるスタンダードがあったように思います。便利を否定はしませんが、私が大学を卒業した1970年代には、雑巾で拭けば綺麗になるビニールの切り売りテーブルクロスが盛んで、それをわざわざ木のテーブルにかけて使う、今では考えられない時代もありました。ですが時代は変わり、今ではジャガード織やリネンのテーブルクロス等が好まれてきています。急いで文明を追いかけてきた日本が文化に立ち戻ってきた中で、最も文化的なものが子育てだと思います。その意味でも「子育て文化論」はとても大切です。

岡崎:やり続けていかなければ残らないし、一番面倒な時にどれだけコミュニケーションをとるか、を大切に思うことでサービスが違ってきます。先ほどのリネンの話でも、洗濯後に天日干しをしたらもっと気持ちいいですし、北欧の家具は値段が高いですが、親子三代で使っても壊れないのを考えれば、かえって経済的かもしれません。私どもの扱っている家具も全て50年代のデザインで揃えています。1950年にスタートした会社ですが、当時の定番商品が未だに色褪せることなく使えるのはいいことですし、使いこむほど良くなるものは後々更に良くなるものです。

矢嶋:私も、そもそも人間とは文化的な生き物だ、と話します。ボールペンは壊れたら修理せず捨ててしまいますが、人間は違います。人間は身体の具合が悪かったり怪我をすれば、親御さんやお医者さんの力を借りて治しているものです。人間の身体は治癒や修理を繰り返して、今こうして生きています。文明が進めば進むほど忘れがちなことですが、忘れてしまうと人間の身体と心のバランスが崩れてしまう。子どもは自分ではわからないからこそ、彼らの心にこちらが寄ってあげなければなりません。
   お茶やお華の「おもてなしの心」は、誰かに「好きになってください」とは逆で、「私はあなたが好きです」が基本です。つまり、自分の心を相手の側に寄り添わせる。これが「私の心をあなたに配る」という「心配り」です。「心を鷲掴みにする」という表現がありますが、赤ちゃんの心を鷲掴みにすることはできません。赤ちゃんの心はこちらから心を運ぶことで、初めてわかるものだからです。面倒な手間暇をかけなければならないですが、でなければ文化になりません。文明だけでいいならインスタントな人生になりますが、本来人間はインスタントにできていない。この家具が1950年のものとすれば、私も1950年生まれなので同じ時代を生きていることになります。肉体的、精神的に壊れたり修理したりを繰り返し、80~90年は手間暇かけて生きていくものです。その出発点を「for the first 1000 days」と考えると、とても意味あるコンセプトだと思います。悲しいことに、親からインスタントに育てられた人もいます。幼児虐待と言われますが、これは子どもを徹底的に文明的に扱っているのだと思います。壊れたボールペンを捨てるのと同じように、泣けば殺してしまうという反応の仕方は。生きている命として、使い捨ててはいけない。その出発点である「子育て」をしっかりやらねば、と改めて思います。


神戸別品博覧会に寄せて

矢嶋:「べっぴんさん」のスタートに合わせて「神戸別品博覧会」という企画をされている、とお伺いしたのですが、それについてご説明いただけますか。

岡崎:ファミリアの創業者のひとりがヒロインモデルとなったドラマが放映されるのは光栄なことだと思いました。しかしファミリアだけがフューチャーされるのではなく、もっと神戸に人が来てほしい、その仕組みをせっかくならつくってみたい、と考えこの企画がスタートしました。また「べっぴんさん」というタイトルを僕が非常に気に入ったので、あやからせていただきました。
   「別品」には「特別な品物を誂える」という意味があります。今はB級品の世の中になっているので、もう一度特別に誂えるものがどんどん出来てきたら、日本が豊かになるんじゃないかなと。

矢嶋:別品という言葉は「別の品」、と書くことに改めて気づきました。上品、下品という言葉は皆さん知っていますが、それとは違う別品というものがある。上品、下品は上と下で、ある意味文明のような関係ですが、別品は文化的な価値だと思います。

岡崎:もう一つはこれからのモノづくりを考えた時、「WA」という本に出会い、こういう世界観をつくっていかなければと思いました。これはPhaidonという会社がイタリア人のカメラマンに、今の日本の面白いモノを撮らせたのです。
   この本は最近出たばかりで、ファッションも含めてコンテンツが非常に面白い。ジャパンコンテンツを考えるうえでとても刺激を受けました。会社にはそれぞれの「定番」がありますが、これからの定番をどうやってつくるのか、またそれを発信できるイベントにしたいなと。僕自身クリエイターのネットワークがあり、神戸にはヨーロッパから来た文化を受け継いだ面白い会社があるので、陳腐化した定番を、もう一度新しいクリエーションの力で面白いものに出来ないか、と神戸別品博覧会を発案しました。
   一番力を入れているのがデザインとコンテンツで、ロゴ制作をグラフィックデザイナーの北川一成さんに依頼しました。これからはインバウンドだけではなく、アウトバウンド力を持った企業が残れるのではと考え、それを可能にするプラットフォームを表現したデザインにしたいと思いました。

矢嶋:とてもよくわかります。文化は地域性を除いては語れない。神戸は歴史的な土壌形成や、地域風土の中で文化が育まれ、それは非常に地域性と結びついています。きもので言えば、奄美大島や久米島、宮古島や竹富島と独特の島の文化があり、それぞれのきもの産地を形成しています。新潟の十日町は雪が一番深い日は2m50㎝も積もり、そういう場所だからこそつくられるきものもあるのです。
   別品は神戸のテーマであり、それをファミリア1社の枠に留めず神戸という地域に拡げていくことは、同時に神戸の文化性を求めることに繋がるので、とても良いことだと思います。大きく言えば「和」を求めることですし、東京も江戸小紋という文化を再度アピールしようとしています。文明化により世界がグローバルになればなるほど、それに対抗するかのような地域文化性が求められていくからです。

岡崎:来年で神戸港が開港150周年を迎えますが、150年たった今、これからは神戸から世界に文化発信のできるコンテンツをつくっていきたいんです。今後アウトバウンドの時代になるでしょうが、その流れをつくるのは日本だと思っています。僕は洋風だったのですが、会長にお会いしたことをきっかけにきものを着始めて、フュージョンする感覚がありました。きものは着た人が身体をつくる、という話も聞き、これまで洋服しか着たことの無かった自分にスイッチが入ったようです。

矢嶋:ビームスは「BEAMS JAPAN」をオープンさせましたが、あれはまさにアウトバウンドの店舗です。ビームスの設楽社長は主にアメリカの文化を日本に紹介し続けてきた人で、今度は「BEAMS JAPAN」を通して日本の文化を世界に発信しようとしています。インバウンドからアウトバウンドへの転換点を、2020年のオリンピックを前に我々はもう迎えつつあるのではないでしょうか。
   先の岡崎さんの話で嬉しかったのが、きものの文化性を感じてくれたことです。洋服は文明的で、ボタンやファスナーの位置も決まっています。ボタンひとつ掛け間違うだけで妙な格好になりますし、ファスナーは2㎜ずれれば不良品になる。決まった結果を出せるのが文明であり洋服だとすれば、その時々で違った結果を出せるのが文化でありきものです。岡崎さんのように一度きものを着るとハマる人が出てくるのは、自分が着方をコントロールする、自分が着るんだ、という「面倒な意思」をはっきりと感じるからです。出来合いのインスタントを買ってくるのとは全く違う。子育てや料理は、最初から100%できたモノを買うのではなく、自分で手間暇をかけてやらないとできない。きものもそれと同じなんです。

やまと会長 矢島孝俊

岡崎:僕はまだきものを着始めて日が浅いですが、きものが身体にピタッとくる気がします。着方やルールを知らない人間だからこそ、クリエイティブに遊べたら思いますし、会長は僕に「きものはこうしなければいけない」、とは仰らないですよね。

矢嶋:岡崎さんにファッションの基礎が無かったら僕も言うんですよ。その基礎がちゃんとあれば、「きものはこうしなさい」と言わずとも着られるからです。DOUBLE MAISON のディレクターである大森仔佑子さんは、自分ではきものを着られない。だから自分で着られるきものを彼女はつくる。洋服のトップスタイリストの彼女だから、それができるのです。今まできもの業界は洋服やデザインのプロに対し、きものがわからないからダメだ、という排除の論理を提示していました。それは「和食を食べない人は味音痴だ」と言うのと同じで、美味しいものは和食も洋食も関係なく、本来なら両方とも知らなければいけない。その意味では岡崎さんや大森さんのように、今まで洋服の世界で生きてきた人がきものの価値に目覚めてくれるのは非常に嬉しいことで、それがDOUBLE MAISON という1つのブランドにまでなっています。
   別品博覧会は具体的にどういうことをやるのですか?

岡崎:企業×クリエイターで、新たな定番商品をつくるイベントにしたいと思っています。今現在50社ほど声をかけていて、それに対して様々なクリエイターたちが、今までその企業が考えられなかったような商品を開発していくのです。僕が企画過程で一番こだわったのは、人を説得する前にコンテンツのプラットフォームを、という点で、まず先に別品博覧会のウェブサイトやツールをつくりました。こういうことをやりたい、というのをウェブサイトで触って体感してもらうことで、神戸人に限らず様々な人と一緒に商品開発をしていくきっかけにしたかったからです。神戸人という固まった人種だけでやるから、これまでのイベントは成功しなかったのだと思います。

矢嶋:きものも同じで、きもの屋だけでやるから世界が拡がらない。和に対し洋の世界のファッションやアートディレクターが入ってこなければいけません。

岡崎:同様にこれからは「民」がやる時代であり、街と民とが一緒になってつくりあげていくビジネスモデルにしよう、とも考えました。

矢嶋:先に岡崎さんが言った、神戸にはアメリカ、イギリス、ドイツと超多国籍で異なる文化があり、それをどう融合させるか、という話に繋がるものがありますね。文明だったら皆同じになりますが、文化である以上、異なるものはそれぞれの結果が出ます。それも文化の面白さですから。

岡崎:もう一つのこだわりは、ネットの時代なので皆がアイデアをシェアできることです。FacebookやInstagramといったSNSツールを上手く使いたいですね。ウェブを主体にしたビジネスモデルをつくりたい。もちろん「2020年の神戸ブランドをつくる」という大義名分もあります。

矢嶋:神戸別品博覧会の会場は、トワロードとセンター街の角にあるウルトラクラシックで目立つビルですよね。そこで半年間、どういうことをやってみたいですか?

岡崎:ドラマが終わると共に終了するビジネスモデルにはしたくありませんでした。ドラマと共にスタートし、ドラマが終わった時点で「別品博覧会」という新たなモデルにしたいと思っています。僕のイメージでは、パリのメルシーをつくりたいな、と。

矢嶋:「神戸の別品」ではなく「日本の別品」にするということですか。

岡崎:そうですね。別品博覧会という事業を神戸から日本、世界に飛び火するようなモデルにしたいです。次は熊本別品博覧会をするかもしれないし、パリでもいいかもしれない。色々なコンテンツをちゃんと出せる、企業が面白い、今まで無かった感覚の商品をつくれる、そこを根幹に続けていきたいですね。ロゴマークもかなり考えたのですが、これからの時代はロゴマークも動かなければいけないと、このような動く日本の輪のデザインに決定しました。

神戸別品博覧会

 神戸のクリエイターが別品を生み出すコラボレーションということで、今は神戸チームと東京チームがちょうど同じくらいの規模なので、互いのチームが上手く刺激しあう仕組みを考えています。クリエイターも募集中で、現在約40人います。アーティストやデザインのできる人もいて、どんどんこのアライアンスが拡がれば、点と点が円になり、在り得なかった掛け合わせができる。そのフォーマットをつくりたいです。もちろん色々な方の協力が要りますが、拡散し続け、賛同してくれる方が増えていけばカタチになると思います。先ほどのクラウド化で言えば、ウェブサイトはFacebook等のSNSと連動するようになっているので、クリエイターの中で生まれた面白いアイデアを発信することで、興味を持った企業が新たに参加し、商品としてカタチになる。そうしたアウトバウンドなリソースにするのが理想です。
   だからこそロゴマークを海外でも通用するものにしました。例えば今流行のポケモンGOのように、別品にロゴのぐるぐるマークを付けて、ぐるぐると日本中の別品を探しに行くツアーも面白いかなと。これからの日本、ないし世界中の企業が、特別な商品の認定マークとしてこのロゴをシェアするようになれば非常に面白いですし、その原型が神戸から出てきた、というだけで光栄だと思います。走りながら、巻き込みながら、僕だけではなく皆でつくっていく。できた時に100%ではなく、できた時が0%で、そこから組んでいくものです。

   今回面白いのが、民間企業や神戸市等も協力してくれたことで、3階にはドラマで使っている舞台セットがそのまま入ります。ドラマの主役を体感できるんです。期間中セットを更新していく予定なので、SNSで随時発信していきたいですね。神戸市からは、神戸開港150周年のパネル展を入れてもらいます。4階はレストランで、せっかくなので屋号を「フルールパーラ―別品堂」としました。神戸は様々な洋食の文化が始まった地でもあるので、2016年の目で、洋食を再編成してみたいなと。そこでやまとさんにお願いしたハイカラな制服が登場します。きものにエプロンを付けた女性たちが洋食をサーブする、そんな絵を見事叶えてもらいました。
   2階はアートギャラリーにする予定です。色々なアートのイベントがありますが、アートはリセールバリューがないとダメだと思っています。アーティストとは今年買った値段よりも来年値段が高くなる人だと思うので、そういう人たちが作品を発信できる場所を提供したいです。そこでアーティストと企業による新しい商品開発が生まれてもいいし、できあがった商品は地下1階で売られる、というように館全体で別品博覧会のコンセプトを体現させたいです。
   年明けには新宿の伊勢丹1階の「解放区」で別品博覧会のポップアップを、という話も出ていて、僕は全てデジタルでやろうかと考えています。商品を置かずに全てプロジェクションマッピングで、それを見て気になるものがあればウェブサイトへ、という方法です。

矢嶋:そうなれば最先端のショールーミングですね。最後に、これからチャレンジしていきたいことはありますか?

岡崎:1社だけのイベントではなく、拡がりをつけて体験してもらい、その商品はネットで全部買える一方、博覧会のために神戸に来る人も増やすといった、点と点を繋ぐ架け橋をどうつくるか挑戦していきたいです。実は今一番困っているのは人材不足で、ファミリアは最初僕1人でやっていました。今はヘルパーが少しずつ増えていますが、まだまだ色々なアイデアを持った人が増えてくれば、どんどん拡散し大きなプロジェクトになる可能性が出てきます。そういう人たちを現在大募集中です!
   今日はありがとうございました。