「ゆかたから始まるきものライフ」

2017年6月に共立女子大学家政学部被服学科で開講された、弊社会長 矢嶋孝敏の特別講演を逐語訳、再編したものをご紹介します。

 
共立女子大学家政学部被服学科 神田一ツ橋キャンパスでの授業風景(2017年6月)

共立女子大学家政学部被服学科 神田一ツ橋キャンパスでの授業風景(2017年6月)

 

本日は、「ゆかたの始まりと今」についてお話ししたいと思います。結論から言えば、「ゆかたはきものだ」ということです。ゆかたは元々お風呂の中で着ていたものなんです。江戸時代前期の銭湯は混浴で、石榴口(ざくろぐち)と呼ばれる入口を通れば男女が一緒になる構造でした。
それが風俗上まずいとされ、お風呂の中で女性、特に若い女子がゆかたを着て男子の目線を遮るようになったんです。江戸の後期からはさらに規制が厳しくなり、お風呂が男女別々になります。そして風呂屋の二階が社交場となり、ごく簡単な社交着として浴後にゆかたを着るようになりました。
愛媛の道後温泉では古い温泉場の上が畳敷きの広間になっていて、そこでお茶を飲んだりお団子を食べたりするんですが、それは江戸の名残ですね。



<ゆかた柄の変還>

明治、大正時代のきものの柄
明治
大正
昭和、現代のきもの柄の移り変わり
昭和
現代

 

  明治になるとゆかたを寝巻に着るようになります。明治のゆかたは、バット染料というドイツから輸入された藍に代わる化学染料で一色染めをしています。大正になるとそこに他の色を挿して少し深みが出てきて、昭和には化学染料によりこのような明るい色が出てきました。平成になると、きものとほとんど同じ柄行になっています。

このようにゆかたは変化してきたわけですが、私のゆかたの定義は「夏に着る綿の単衣のきもの = 夏の外出着」です。今ではゆかたを家で着る人はそんなにいませんし、お風呂上りに着る風習も旅館以外ではありません。昔との大きな違いは、ゆかたが花火大会や納涼船といったイベントでの外出着に変わってきている、という点です。

1990年に初めてやまとがエイトカラーゆかたを出した時、「ゆかたは寝巻で人前で着るものじゃない」と、東京の有名なホテルのほとんどがゆかたでの入館は許してもらえませんでした。それがたったの30年前ですが、今はそんなホテルはありません。


   素材も綿から綿紅梅へ、綿麻から綿麻紅梅へ、そして新合繊へと大きく変化しました。紅梅とは縦と横で太さの違う糸を使うことで凸凹をつくる織り方で、そうすると表面変化が出ると同時にそこに風が通り、生地が肌にべったりくっつくかずに涼しいんです。
今は東レのセオαやテイジンのエアロカプセルなどの新合繊の機能素材でできたゆかたもつくられています。

今日私が着ているのはDOUBLE MAISON というブランドのレディースゆかたをメンズに仕立てたものです。素材は綿麻ですから、普通のゆかたに比べるときものに近い。柄行も非常にクラシックですが、実はインクジェット染めです。併せてこの近江麻の羽織を着ると、きものの様に見えますよね。
このようにゆかたときものの境がどんどん無くなっているんです。
講義中の矢嶋孝敏
講義中の矢嶋孝敏


   続いて色の変化です。先ほど話しましたが、江戸時代は藍だけだったのが江戸の末期から明治の初期にかけてドイツのバット染料が輸入され、化学染料でとても安く染められるようになりました。一方天然染料は凄く良い色を出すんですが、養生がとても難しい。藍は26~28℃で常温発酵を保たないと死んでしまいますし、毎日アルカリのpHを維持するためにお酒を注いだり、灰を入れたりしなければなりません。



エイトカラーゆかた:きものやまと

エイトカラーゆかた

また天然染料は、日光に当たると退色してしまう可能性があります。対して化学染料は退色しないのでどんどん使用されましたが、最大の欠点は皆同じ色になってしまうことです。天然染料で染めたものは経年変化による味が生まれますが、化学染料で染めたものは良くも悪くも変わりません。
そして、1990年にやまとが出した「エイトカラーゆかた」によって、カラーゆかたが本格的にスタートします。
当時私は社長になって1年目だったのですが、「今度のやまとの社長はアパレルあがりでまだ30代らしいけど、大丈夫だろうか」、「赤いゆかたなんて売れるわけがない」と散々に言われたんです。
しかし一番売れたのは赤いゆかたでした。理由は明らかで、当時赤いゆかたは誰も持っていなかったからです。

ファッションとは、同一性と、同一性の中の区別性と言えます。皆と同じものを着ていたい、でも皆より自分の方がちょっと良くありたいという願望です。ゆかたは着たいけど皆と同じ藍は嫌だ、という人が赤やピンク、黄色のゆかたを着るようになったのが、今からわずか30年前のことです。

注染とスクリーン捺染の機械
注染
スクリーン捺染
ロール捺染とインクジェットの機械
ロール捺染
インクジェット

 

   染めの技法も変わってきていて、始まりは注染という、反物を何枚も重ねた上に防染の糊で土手をつくり、その中に色を注いで下から抜いていく方法でした。何枚も重なった反物に全部同じ柄が染み通っていくのです。次のスクリーン捺染は型染めとは違い、スクリーンで型をつくってハケやエアーコンプレッサーで染めていく。ロール捺染はロールスクリーンという大きな機械で、ロールを使って柄をインクで転写します。最後がインクジェットといって、完全にデジタルプリント(印刷)です。

このように色も染めも50年、もっと言えばこの30年で急速に進歩しました。続いて帯の変遷を見ていきましょう。
学生さんがスタイリングされたトルソーがとても参考になりました。真ん中は博多献上帯で、両側は帯というよりも布を巻いているだけ。しかし実はこの布の巻き付けが帯の原型で、今の帯の形はせいぜい100年前にできたものなのです。 皆さんが知っている袋帯や名古屋帯も大正半ばくらいにできたもので、歴史でいうと100年ほどしかない。だからその帯の歴史を超えて、両側のようなゆかたの帯があって当然なんですよ。



学生さんによるゆかたスタイリング

学生さんによるゆかたスタイリング

 

   帯の始まりは、きものの前がはだけないように留める伊達締めのような機能布です。今は帯の下に締めるものですが、昔は帯の概念がなく腰紐より幅の広い伊達締めを留めるだけでよかった。それが四寸帯という約12㎝の幅の帯になりました。今の半巾帯ですね。次に八寸帯といって四寸帯の倍の約24㎝幅のものが出てきます。こうして徐々に今の帯の形になっていきました。
戦後からゆかたにポリエステルの半巾帯を合わせるのが流行し、今では八寸帯を合わせることでよりお洒落に、きものらしく着て楽しむ方も増えています。

他にも、ゆかたの下に襦袢を着て半衿をつけたり、帯締や帯留をしたりするときもの風に着られますね。下駄に素足ではなく白い足袋を履くと、着姿が上品になります。さらに薄手の羽織を重ねたら立派なきものの装いです。博多紗献上帯やミンサー帯など、産地の帯を合わせるのも楽しいです。

 

帯の種類ー伊達締め、四寸帯、ポリエステル四寸帯、八寸帯、博多献上帯、ミンサー帯

 

  ここまでが江戸時代から現在までの約150年間の、ゆかたの着方や素材、色、染の技法、帯の変化のお話でした。続いてのテーマは文化です。