-パネルディスカッション-

「つくりべの森」の未来へ

これは2016年4月20日、リーガロイヤルホテル東京での第13回「つくりべの会 全国大会」における4人のパネラーと全国つくりべの会 最高顧問 矢嶋孝敏によるパネルディスカッションを逐語訳したものです。



【 パネラー紹介 】(上記写真 右より)

田島 敬史氏(東京つくりべの会、38歳)

田島染芸の跡取り。伝統工芸士。自社工場の練馬区石神井公園。父親を継いで伝統的な縞、格子のスッキリした江戸小紋染めが得意。小紋訪問着や羽織絵羽まで幅広く手がけている。

奥澤 順之氏(結城つくりべの会、33歳)

結城紬最大手の株式会社奥順 専務。陶磁器メーカー、きもの専門店などで自ら手づくりの大切さを学ぶ。若い女性の感性を生かした結城紬が得意。

加納 彩夏氏(西陣つくりべの会、26歳)

京都精華大学 芸術学部テキスタイルコースでモノづくりを学び、京都西陣 織匠小平に就職。現在、入社5年目。デザイナーとして活躍中。

城間 栄市氏(沖縄つくりべの会、38歳)

紅型の名門城間家の16代目。2015年、祖父栄喜(故人)、現当主 栄順と共に「城間びんがた三代継承展」を開催。同年、紅入藍型を復刻させて「群星浜(むるぶしはま)」で第62回日本伝統工芸展新人賞受賞。

【 コーディネーター 】

矢嶋 孝敏(全国つくりべの会 最高顧問、株式会社やまと 代表取締役会長)
つくりべの森ー矢嶋孝敏 編

矢嶋:「つくりべの森」という言葉は、今日はじめて聞く言葉だと思います。この「つくりべの森」とは何なのか?を一緒に考えていきましょう。
 「森」は「林」のように画一的なものではなく、様々な多様性を持つものです。この多様性を、きものの世界で表現すれば、絹だけではなく、綿や麻やウール、紙布といった多種多様な素材が存在し、スタイルもフォーマルだけではなく、カジュアル、更にソシアルという新しい概念もあり、ルートも店舗だけではなくインターネットやレンタルなど様々に挙げられます。この多種多様な広がりにより、きものを「着る」ことが豊かで楽しくなるイメージを「森」という言葉で表現しています。このように「森」を捉え今日、新しく皆さんが耳にする「つくりべの森」という言葉にどのようなイメージを持ったら良いのか、つくりべの一人ひとりに考えていただきたくパネルを構成しました。
 パネラーは、加納さんが20代、あとは全員30代で、業界では若い世代です。一昨年、つくりべの会は世代交代を果たし、60代は顧問になり、中心的な活動は、40代半ば。今日はそれを更に若返るかたちで30代半ばから20代半ばの方々のパネルディスカッションになりました。次の時代を考えていくには、10年、20年、30年のスパンで考えていくべきと考え、この年代の方々に、「つくりべの森の未来」を考えてもらうことが一番良いのではないか、と思ったからです。
 「つくりべの森」の表紙に「作ること 育てること 暮らすことの文化論」とあります。大切なことは、つくること、産地を育てること、その為に後継経営者を育てること、その中には、自分自身も入りますし、後継技術者を育てることも含みます。何よりも大事なことは、「暮らすことの文化論」です。暮らすことは、それでキチンとご飯が食べられるということなのです。
 ご来賓の方が「和装振興がビジネスとしてできるかどうかが大事」とおっしゃいました。全くその通りです。食べていくと言っても、決して文化を食い物にするわけではありません。しかしその文化で生活が成り立たなくては、人々はみな、その文化から離れていきます。文化は、崇め奉るものではなくて、日常の中にその文化が根付かなければならない。そういう意味で「作ること 育てること 暮らすことの文化論」として「つくりべの森」があり、各産地の深い問題意識が凝縮されています。オビにある「私たちは機を織りながら人を創っている」これは米沢、「友禅は自分の想いをぶつけることが基本です」これは加賀。「先染めの絣の美は永遠に日本人に響いていく」これも鹿児島の仲間の言葉です。このような「作り手たちの熱い想い」がストレートに入っています。
 最初に、この「つくりべの森」という言葉を聞いて、どのように感じられたか?


田島:「森」というのは、矢嶋最高顧問がおっしゃったように、いくつもの木々、草、が自生している、そこに日光が降り注ぎ、堆肥で更に大きく広がっていく。そして個々の木々も大きく育っていくものだとイメージしています。
 このつくりべの会で、一人一人が木となり、個々の産地内で問題提起をし、そこで解決できないものは他14産地との産地間交流を通し、問題提起しながらお互いに解決していく。そうやって、一つ一つの木が更に成長していければ…というイメージを持っております。

矢嶋:今のコメントに、私の狙いが表現されています。森のように多種多様な樹種があり、そこを行き交いする虫や蝶や動物がいて、その無意識の情報交換の中で、その森が育っていくというイメージを描いている、そういう意味で、今のコメントは、短かいながらも、つくりべの森の意図を捉えていると思います。次に沖縄の城間さん。

城間:私は今年、15代の父 栄順より工房を継ぎました。沖縄という離れた場所におり、全国的な流れや状況が、あまりわかりませんので、私の立場で「つくりべの森」というイメージを考えてみました。「森」という言葉からは、「多様性を受け容れる」というようなイメージが、なんとなく浮かんできました。
 私の工房には今20名、職人がおりますが、そこでは20代から70代に近い職人までが一緒に働いています。その中で、沖縄というものすごくスローなリズムでものづくりをしているということもあるのですが、人が育つには非常に時間がかかります。私の父親は、「やり甲斐のある場所を与えたら勝手に仕事は覚えていくもんだ」というような、とても気の長い言葉で職人を育てています。私は最近、売り場のほうにも立たせていただいたりしますが、非常に速いスピードで移り変わる中、沖縄でのんびりやってきたことが、はたして今後どのような形となっていくだろうか、ということが課題かと考えることがあります。沖縄は、おそらく一番能率が悪いところか思いますので、これから、どのような「木」になっていけば良いのかなぁということを考えています。

矢嶋:沖縄の能率が悪いとは、私は思いません。何故日本の山が、杉林になったかは、杉は成長するスピードが速いから。しかし今、その画一的な杉の林が、日本の豊かな森をダメにしているのでは。杉は、木と木の間隔を短く植えることが出来ますが、横の木に邪魔されて根が横に広がらない。雨が降ると木が倒れて土砂崩れになりがち。
 そういう意味で、成長スピードと、能率だけを考えて、画一的な店づくりや、モノづくりをした時代はもう終わったのではないか。高度成長時代は、それで良かったかも知れませんが、日本は明らかに成熟社会に入っています。それに相応しい“ものづくり”を考えたとき、沖縄の持っている手作りのゆっくり感は、森の多様性を支える大きな要素なのではないかと思います。次に結城つくりべの会の奥澤 順之さん。

奥澤:つくりべの森のイメージは、経営とか産地とか色々な課題に向き合うにあたり、「森の中にたくさんの仲間がいる」という印象を強く持っています。業界が3千億まで減少し、斜陽産業と言われるなかで、私は家業に就きました。これからどうしていくのか?  という、心細くて不安な気持ちがありました。しかし、つくりべの会に入り、活き活きと輝いている諸先輩方を見て、私も頑張ればもっと楽しめるのではないか、というイメージを持つことが出来ました。つくりべの森には多様性があり、それによって、自分が他と違うところや強みを考える上でも、自分と周りを、比べることが出来るのではないか。そこで成功されている方々を見て、それをヒントにしながら一人一人が頑張ることが、森を豊かにするのではないでしょうか。言い換えれば、つくりべの森が豊かに育つことが、きものを着る方々、きもの文化そのものを支えるのだと思います。それぞれが成功事例を持ち寄り、それを糧としながら、みんなが育っていく。それが、つくりべの森のイメージです。

矢嶋:たくさんの仲間がいることを実感するのは、とても大事です。つくりべの会は、1産地から始まり、15年間で14産地まで広がり、会員数は200名となりました。これだけのモノを作っている仲間がいて、各産地で各々の問題に対し日夜直面しながらも頑張っていることを実感することは重要です。産地はそれぞれに多様性を持っていますが、ある産地がどのような問題を乗り越えようとしているか? を知ることは、参考になることが多いです。各産地の成功、失敗の中から、自産地がどうやって学んでいくかを、つくりべの森を通して知っていただければと思います。
 今までの3人は全て後継者です。一番若い加納さんは、後継者ではありません。何故ご自分がモノづくりをやろうと思われたのかから話していただきます。

加納:私は、昔からモノをつくったり絵を描いたりすることが好きでした。高校は美術系の学校に進学し、布や着るものに興味を持ち、京都精華大学 芸術学部のテキスタイルコースで勉強しました。そのときに、自分が何をしたいか、仕事として何をやりたいか、ということを考え、やっぱり「ものづくりに関われる仕事」「きものや着るものに関われる仕事」がしたいなぁと思いまして、就職活動をし、今の会社に入りました。
 つくりべの森のイメージは、ちょっと抽象的ですが、ワクワクする感じかな…というように思っています。今までは、産地の名前とか、どんなものを作っているか、といった漠然としたものしか知りませんでしたが、この「つくりべの森」を詳しく読み進めていくと、今まで名前しか知らなかった産地では、こういうことに拘ってものづくりをされているとか、そこでは今どういうことを問題意識としているのか等、色々知ることが出来ました。自分がつくりべの森の一員でなかったならば、自分のことで精一杯で、まわりのことまで見えてこなかったと思います。しかし「森」には、もっと他所で頑張っている人たちが大勢いて、それを知るにつけ視界が広がり、楽しみになった部分があります。技術的なことなどでは直接的に影響を受けないとしても、ものづくりの姿勢や、気持ちの面では、同じ森の中にいることで、すごく沢山吸収できることがあるのではないかと思っています。そして、自分がどういう「木」になっていくのかということも、また考えなくてはいけないと思いました。

矢嶋:森の中で自分がどういう木になるか考えたいというのは、嬉しい表現です。京都精華大学は唯一マンガ学部があり、京都造形大学や、京都女子大学と同じく、人気のある大学です。弊社も、これからは美術系、芸術系の大学からの新卒採用を1/3位にしないとダメなのではないかと考えています。東京なら武蔵野美術大学、多摩美術大学、女子美術大学、文化学園大学など。そうした女性たちを広く仲間に入れていかないと、美しさ、デザイン、ものづくりといった発想がなかなかできないのです。四大出身はつくられたものをマネジメントする能力はあるのですが、何をどう作るか、に対してのイマジネーションが弱い。それを補うには、美系の人に、もっとこの業界に入ってきて欲しいし、そのために受け入れられる環境をつくらなくてはいけない、と思います。
 次に「つくりべの森の未来」を、どう感じているかお話し頂きたいと思います。

田島:未来に向かい、問題を1つ1つ解決していくことも大事だと思っています。東京の江戸小紋の産地でいいますと、まず1人ではつくれない、職人さんがいてくれないとまずできない、ということと、一貫生産という課題があります。江戸小紋の工程では、型紙を使うのですが、この伊勢型紙以外の部分は全て一貫生産で、商品となるまで一つのところで作り上げていきます。となれば、職人さんもいなくてはなりません。その職人さんも高齢化してきていますので、若手技術者の育成ということがすごく大事だと思います。若手技術者の育成となれば、工賃含めた労働環境をしっかり作っていく必要があります。つまり食べていけるようにならなくてはいけません。
 また、私たちは今まで、流通でいいますと、メーカーや問屋さんというものがありますが、それらではなく“染め屋”という位置づけで、昔から今までずっときています。私たちが今までの“染め屋”ではなく、メーカーという立場になれるようにしていかないといけないとも考えています。
 このように色々な問題が私たちの江戸小紋産地にはあります。しかし、この本「つくりべの森」を読み、「チームワーキング」という言葉にハッとしました。私たちの産地で言えば「染」ですので、型をつけたあと、地染めもあり、そして、蒸し、洗い場も自社で持っています。しかし、できない工程の部分を同じ産地の中で頼むこともできるのではないか?などと考えさせられました。さらに、他産地の方とも協力し、何か新しいものをつくったり、織りの素材に染めの加工をするとか、ということも出来るのではないかと思うのです。そうやって新しいものをつくっていく、そして個々が成長していく、ということを未来のイメージとして、漠然としてはいますが、考えています。

矢嶋:「チームワーキング」の指摘は、正鵠を得ています。コラボでは軽いです。チームワーキングとなれば、本当にお互いの役割分担をしなくてはできない。東京つくりべの会四社ではどんどん進んでいます。今まで江戸小紋は1社に全工程を持っていました。それはそれで良い。ただそれが上手くいかず、問題がおこったときに、それを組み替えていく知恵もまた必要です。沖縄は1人の織り手が糸染めから織りまで全部やる。しかし今、読谷や久米島で始まっている工房は「新しい手作りの緩やかな分業のありかた」です。読谷工房では、かつてなかった種類の天然染色の糸が揃えられ、それを織り手が自由に選んで作ることが出来る、10年前では考えられなかった新しい分業形態が生まれています。東京でも、それが出来はじめている。引染めであれば、ここにやってもらおう…というように。産地の特徴を活かしながら、産地内、さらに、産地間のチームワーキングもこれからは生まれてくると思います。
 日本列島全てを「森」として考え、チームワーキングしていく、という見方も出来ます。ライバル同士でチークワーキングしていくこともあります。侍ジャパンでは、ライバル同士がチームを組み世界に勝ちにいく。このようなことが、もっとあって良いと。
 次に、城間さんに。14代のお祖父様、15代のお父様を継ぎ、三百数十年の歴史の中で、その未来を、どう考えていくのか。

城間:各産地ともに抱えている問題が重く、沖縄も同様に一言では言えませんが、私は年齢的にも工房を継いだばかりですので、目先のことしか考えていませんでした。そんな中、一番年配の職人の方が年齢ということもあり来年辞めますという出来事がありました。
私には、後継者として生まれた時から、工房が当たり前にあったのですが、私以外の皆さんは、仕事が好きで集まってきた方々です。私はそのような職人さん、作り手さんたちの仕事への姿勢を見ながら、あんなに楽しそうに仕事ができたらいいなぁと思っていましたし、また、モデルとし、憧れを持っておりました。そのような方が辞めるということを受け、すごく複雑な想いを抱きました。そして私は、こうした先輩方の仕事への取り組み方に牽引されてきていたんだなぁと改めて感じました。
 沖縄は海を隔てて遠く離れている場所ではあります。しかし、つくりべの森というネットワークの中で、仲間としてやらせていただけたら、いろいろなヒントを貰えるのかなと思っております。

矢嶋:私はつくりべの会の推進エネルギーは、40代半ばだと思っています。しかし一方で、60歳を過ぎた方も活躍してくれなくては困る。先ほど「ものづくり大賞」に選ばれた、熊崎さん、西澤さん、眞淵さん、平均年齢76歳の方々が、30代~40代の方々と一緒にチームワーキングし、帯をつくったのは象徴的です。つくりべの会を若返らせることと、ベテランの方を活用することは、矛盾しません。
 日本が70歳雇用という話をしている時に、個別の工房や個別の産地単位では、ベテランの方々の再活用に対して私はもっと柔軟に考えていくべきだと考えます。

奥澤:つくりべの森の未来とは、ものづくりの未来がこれからどのようになっていくのか? を考えることではないか。これからもそうラクな業界ではないと思います。
 最近読んだ本に「ストックデールの逆説」がありました。ストックデール将軍がベトナム戦争の捕虜の代表者として、どのようにみんなの面倒を見、生還したか…の話です。どんなに厳しい状況でも、最後は絶対勝つんだという確信めいた情熱を持て! という反面、その希望に反して今自分が直面している現実の中でも、一番厳しい部分をしっかり直視することが大事だと言っています。
 高齢化の問題、後継者問題、原料の問題など、いろいろな問題をしっかりと直視した中で、自分が生き残る道を信じる。次に、何が必要とされるのか、自分が他に対して差別化できること、または一番になれるような部分を見つけていく、そして、その細部の中で経済性をしっかり確保できる、職人さんがしっかりと食べていけるという部分と、そこに関わっている人が情熱を持って仕事に打ち込める、という3つを同時達成できる解決策を、しっかり考えていく必要があるのではないかと。その中で、ものづくりの未来は、それぞれが高いレベルのアイデンティティー、他にない魅力をそれぞれが持つことが出来、いろいろな個性を持った木々がしっかり育った“森”がこれから広がっていくのではないかと思います。
 一朝一夕でできるものではありません。常にその問題に対してずっと向き合っていく強さが、やがて解決策を見つけるのではないか。私自身は、想いや理論だけで、実際に技術を持っているわけでもありません。しっかりと現実を見ながら、産地の人と一緒に、「きものから一歩も退かない」という心で未来につなげて行きたいと思っています。

矢嶋:現実を直視することはすごく大事です。このつくりべの会の皆さんはキチッと現実を見ていますよね。生活慣習が変わったからきものが売れなくなった、とか、景気が悪くなったから高額品が売れない、とか、そういう言い訳を言っていない。生活慣習が変わっても日本食は売れていますし、高額品が売れないなら低額なものをつくれば良い。いろいろなやり方で他の業界は市場に対応してきました。この業界の一部の方は、全て悪いのは自分でなくまわりだと言ってきた。それは、現実を無視していることです。一方、奥澤さんのように、現実を直視し厳しいながらも考えていくのが当たり前のようにこの会で語られていることは、素晴らしいことで、そのために、私は世代交代を進めてきたんだと、今更ながら感じた結果、パネラーの皆さんは、平均年齢34歳です。

加納:私は3人の方と違って、後継経営者ではないので、そんなに難しいことは考えておらず、例えば自分の5年後というものを考えてみたとしても、仕事はやっていたいけど、ほんとにここにいるのかな といった感じです。ですので、入社してまだ5年目なのですが、今の仕事をきっちり責任持ってやれるようになり、ものづくりが、スムーズにできるようになりたいと思っています。そうしたら、未来は悪くはならないのではないかって。また、今日集まっておられる方で20代の方はあまりいらっしゃらないと思いますが、自分と同じような立場の方ともっとお話しできるようになれたら良いなと思っています。

矢嶋:私も未来予測能力はないですが、仮説を立てないと、見えるものも見えない。ものづくりで、どういうところまで自分が行きたい、というものはありますか?

加納:私は図案を手描きで描いたり、最近は社長に教わりながら配色も少しづつやらせてもらっています。しかし、まだ覚束ないところがあるので、キチンと要望に応えられるようになりたいです。先輩はサッとできるのですが、私はまだまだというところがあるので、スムーズにできるようになれたらなと思います。

矢嶋:ものづくりは、ずっと死ぬまで続くのです。きもの業界だからこそ生涯現役が可能であり、平良敏子さんは98歳、城間栄順さんは82歳で現役です。城間栄順さんご自身が「ものづくりは極まらない」とおっしゃっていました。終わりのない大変さと同時に、終わりのないありがたさも感じながら、つくりべの森の未来を考えていただきたいなと思います。最後にひとことづつお願いします。

田島:「つくりべの森」というこの本を読み、私一個人としてすごく同じ問題に直面しているなと感じたのが、丹後のつくりべの方々でした。先ほども申し上げましたが、どうしてもメーカーになりきれない、染め屋という立場から脱却できないという問題を抱えています。中には染め屋で良いという方もおられるのですが、私はできればメーカーでいたいと考えています。丹後の方たちも白生地を織って、つぶし問屋さんに卸して という中からなかなか脱却できないといった問題を抱えられているところが似ていると思いました。懇親会のときには、丹後の方とも是非お話ししたいと思っています。

矢嶋:田島さんが考えている下職からメーカーへはとても正しいことです。メーカーは、自分が何をつくるか判断ができる。下職は、自分が何をつくるか判断できない。そこで自分が何をつくるか、を自主的に判断するメーカーになっていくことが大事です。一貫と分業、川上と川下、今までのものづくりや流通の過去の形態 といったことは見直されていいのです。下職さんは言われたものを作っていれば良いのですが、今は、言われたものをつくるということ自体、難しい。こういうものをつくってくれ、と言えるところがもうない。だからメーカー化はすごく大事。メーカー化するとは、自主判断能力、自己責任能力を持ち、自分で市場を拓いていける力を持つことです。下職さんがメーカーになり、前売り問屋さんが発注能力、管理能力、買取能力という3つの能力を失いつつある部分を、どうカバーするかが、新しい流通のあり方だと思います。

城間:聞きなれない言葉が多くて頭がパンクしそうですが、沖縄で離れているから、などと言い訳もできませんので…。私はいろいろ先の心配をしていると、父親から「与えられた仕事を真面目にやりなさい」としか言われてきませんでした。私はそれが基礎になっているのかなと思います。以上です。

矢嶋:ひとつのものを16代も継ないでいけるのは、それだけのものがあるからです。それはご先祖の“徳”だと思うのです。今まで15代城間家を継なげてきた方々の、その徳を受けている、それを今後も伸ばすのは、これからの話です。以前、栄市さんに言いました。「自分らしいものを追求するのはまだ早い。まずはお祖父様、お父様のやっていることを徹底的に真似し、身につけることだ」と。今どう思われます?

城間:今自分が言えることは「作り手としての立場を自分は貫くような生き方をする」のだと思います。そういう意味で、矢嶋最高顧問がおっしゃった、祖父の仕事をしっかりやりなさいというのは、私自身気づかなかった非常に的確なアドバイスであったと思っております。

矢嶋:この話は、若い友禅作家の方にもしました。彼は、一所懸命、自分の個性を出そうと考えていました。私は「まだ早いのではないか。30代はいっぱい学んでいくのでいい」と。それからその方の作風にはずいぶん無理がなくなりました。無理矢理に変えようとする必要はなく自然に変わっていく。そういうことで悩む必要はないのです。

奥澤:逆説的ではありますが、自分たちが携わっているきものという仕事、伝統産業というのはどこも厳しいと思っていまして、その中で、誰かが成功したことが、ひとつのモデルケースになれる、つまり「課題解決型の仕事のあり方」を生み出せるチャンスが自分たちの業界にはあるのではないかと思います。やりがいと情熱を持って取り組める仕事というのが“ものづくり”ではないかと思いますし、幸せなことなのだとも感じます。何も目標もなく…というのではなく、目標を持つことが出来ることが、ありがたいことだとも思うのです。また、自分のことばかり考えることもあるのですが、そういう時に仲間の姿を見て、あっ、自分のことだけになっていたかな ということに気づけるということも、このつくりべの会の中で、他に頑張ってらっしゃる方が大勢いるということがありがたいことだと思っています。
 先ほど加納さんが「同じ世代の方がこの業界に入ってくるような環境があったら良いな」とおっしゃられたように、この“きもの”というものに対し、「着てみたい、楽しそう」と思ってくれる若い方々が、自然と入ってこられるように、モノを作っていきたいと思います。さらに、そんな方々の中から、作る側にまわってみたいと思われるような魅力ある職業としてものづくりというものを考えるのも、私たちの立場だと思いますので、「志高く」「あとはやるだけ」という部分で頑張っていきたいと思います。


きものの森ー矢嶋孝敏 著


矢嶋:今この仕事というのは大変だけれど、ある種のモデルケースになるのではないかという発言がありましたが、私もその通りだと思います。昨年「きものの森」という本を出してから、意外なところから講演の依頼が来ています。東京理科大学大学院のイノベーション研究科 先端的技術経営者論としてのオファーが私にきました。計5時間も議論をした外資系の製薬会社からも。きものとは関係のないところからお声がかかるのは、もう文明のロジックが行き詰まっている。高度成長のロジックが行き詰まっているのです。つまり、文明的高度成長のロジックという、アメリカ型経営はもう壊れている。それに代わるロジックを求めたときに、私はきものが、一周遅れのトップランナーとして、その人たちには見えているのではないかと思うのです。
 奥澤さんが本を紹介されたので、私も一つ挙げますと、平田オリザさんという劇作家が「下り坂をそろそろと下る」という本を今日出されました。とても面白い本ですので、是非読んでいただきたいのですが、日本はもう「坂の上の雲」をめざしてはいないということです。どうやって坂をおりるか、を考えなくてはいけない時期にある。それは世界中そうなんだ。だからどうやって坂を下りていくかを考えれば、そのノウハウは他でも使えるのではないか。その他にもこの本には、しんがりのリーダーシップ、問題解決能力より問題発見能力などの、示唆に富む指摘が沢山溢れています。
 もう一つ、「環境は与えられたものではなく変えられる」。環境は、誰がつくったものでも、つくられた環境ですから、今自分が変えれば、未来の自分の環境は絶対に変えられる。それを、きものというフィールドを通して私は証明したいとやってきて、かなり証明してきました。「今ある環境というものは過去につくられた環境だから、誰かがつくった環境だから、今の自分、未来の自分は変えられる」ということを忘れないで欲しいと思います。

下り坂をそろそろと下るー平田オリザ著


加納:私は今回の全国大会に参加するにあたり、自分の仕事をちょっと引いて考えてみたとき、すごく自分が好きなことをやらせてもらっているな と改めて思うことが出来ました。小さいころから、モノをつくったりすることが好きで、いつかは自分が携わったものが商品になったらいいなと思っていたことを思い出しました。毎日仕事をしていると、目先のことでいっぱいいっぱいになってしまうこともありますが、やはり、もともとの気持ちを忘れてはいけないと思いました。

矢嶋:城間栄喜さんに「なあに、仕事のことは仕事が教えてくれます」という言葉があります。名言です。仕事を突き詰めていくと答えは自ずと出てくる。Y.&SONSというメンズテイラーをつくるときに、もともと白紙で私には何の用意もありません。コンセプトを書こうと机の上に紙を置きました。ところが5日間何も書けません。計40時間くらい何も書けない自分がいて、そんな中でもできたのがY.&SONSのコンセプトです。Y.&SONSも「仕事が仕事を教えてくれた」のです。奥澤さんが言ったように、現実を直視する素直な勇気を持てば、答えは絶対出ます。皆さんも私以上に若い可能性があるので、それができると思います。世代交代しながらも、ベテランの方がもう一度一緒にものづくりをしてくれる環境もつくれます。一方で、つくりべの会の主体は、40代に移っていく。更に、20代、30代の若い人がどんどん入ってくることにより、ベテラン、ミドル、ジュニア、の健全な森が出来てくるのだと思います。

 森とは横に広いだけではなくて、縦にも深くなければ。沖縄はのんびりしているけど…という話のときに、成長のスピードは同じでなくてもいいと申しました。加えて、様々な年代の方々がいて、森ですので、そのような森のイメージを持ちながら、つくりべの森を、それぞれの産地に、そして、ご自分のまわり、ご自分の工房に作っていただきたいと思います。
 環境は変えられると言いましたが、自分のまわりに仲間を作っていくということも自分の努力です。田島さんから丹後の仲間達と話したい、とありましたが、大変嬉しく思います。自分自身で自分の環境を広げていく、自分の世界を広げていく、それを通して、自分が自分の森を、自分が自分の産地を豊かにしていくんだというイメージを持っていただければと思います。
 パネラーの皆さん、ありがとうございました。(拍手)