島人の織物ー1

石垣で続く手織りと草木染めから学ぶ、暮らしと手仕事のあり方について、弊社会長 兼一般財団法人きものの森理事長 矢嶋が講演いたしました。本文は2018年3月4日(日)に開催された「石垣みらいカレッジ 修了文化祭」での公開講座「石垣の手仕事から学ぶ二つの原点」を逐語訳、編集したものです。

 
  皆さんこんにちは、一般財団法人きものの森 理事長の矢嶋です。私は当財団の他、きものやまとという全国120店舗、社員数1200名、年間50万人の顧客数を有するきもの小売業の代表取締役会長、ならびにNPO法人全国つくりべの会の最高顧問も務めております。当会は全国16 産地、伝統工芸士を含む220 名のつくり手たちが参加する組織で、後継者経営者と後継技術者の育成を始めとして、きもの産地のモノづくりを支援してきました。
本日のテーマは「石垣の手仕事から学ぶ二つの原点」です。石垣にはいろんな仕事がありますが、本日は「手織りと草木染め」に焦点を当て、暮らしと仕事の原点についてお話ししようと思います。

 

     

  正面に展示しているのはミンサー帯です。ミンサーとは「綿(ミン)で織られた幅の狭(サー)い帯」を意味します。元々は種取祭や豊年祭に使われた沖縄の民族的・土俗的な祭祀の帯でしたが、最近大きく変化しました。今は石垣島、竹富島、西表島のつくりべの方々の手で、都会の20~30代の女性がゆかたに、40~50代のミセスが大島紬に合わせるミンサー帯に変わっています。

  私がミンサーに出会った経緯から話を始める前に、まず皆さんに次の2つの言葉を是非知っていただきたいと思います。1つ目は、「モノをつくれる者は神に選ばれし者なり」というミケランジェロの言葉です。モノをつくるのはそう簡単なことではありません。例えば今私が持っているボールペンは何処にでも売っているものですが、私はこれをつくることも直すこともできません。壊れたとしたら、もったいないとはわかっていても捨てて新しいものを買うでしょう。「神に選ばれし者なり」と表現されるくらい、皆さんがされているモノづくりの仕事はとても大切なものだ、ということです。

  2つ目は和辻哲郎の「風土から離れてモノづくりは無い」。沖縄の中でも石垣は湿度が高いですが、それ故に苧麻のような植物繊維の織物がつくりやすいんです。加えて、本日の最大のポイントでもありますが、皆さんが一生懸命やっている草木染めをできる地域が、もう日本全国でほとんど沖縄しか無いと言っても過言ではありません。もちろん米沢や結城など一部の地域でもやっていますが、これだけの色が出せるのは沖縄だけです。それは草木の力が全国的に弱まっているからとも言え、沖縄の豊かな自然が生む、沖縄の大地の染めがこの草木染めなのです。


2006年開催

2017年開催

 

  左は12年前に西表島の離島振興総合センターで行われたミンサー帯のコンテストの写真で、私はこの時初めてミンサー帯の素晴らしさに出会いました。このミンサー帯が沖縄ではそれなりに知られているものの、東京の女性たちには全く知られていないなんてもったいない、と思ったのを覚えています。1時限目の講座でも「その地域に根を張って生きていく」というお話がありましたが、皆さんがこの地域に根を張って生きていかれるならば、私どもはその産物を東京や大阪、日本全国の市場に広げることによって、皆さんのモノづくりの暮らしを護る、という流通としての役割を担っていることを改めて実感しました。

  そして右は昨年、同じ場所で開催されたミンサー帯の作品展の様子です。皆さんの目の前にあるのは、石垣島、竹富島、西表島という日本でたった3つの島でしかつくられていない、その島々に自生する草木で染め、その島に住む皆さんが手織りをしたミンサー帯です。


  ここで、「手でつくる」ことの意味について考えてみましょう。例えば「手伝う」。よく使う言葉ですが、「手を通してしか伝わらない」という意味があります。「手が届く」、「手が出ない」、「手に負えない」の手は能力を、「手がこむ」は技術、「手につかない」は心を示します。「手を打つ」、「手を尽くす」は方策ですし、「手塩にかける」は自分の手で育てることです。「口答えをする」は悪い意味ですが、「手応えがある」はとても良い意味ですよね。もちろん道具も使いますが、元々は手の延長です。全ての出発点は手であることを是非忘れないでください。


   15年前に久米島を訪れた時、沖縄タイムス元社長の新川明さんに「てぃあんだー」という素晴らしい言葉を教わりました。直訳するとてぃ(手)あんだー(脂)、つまり手の脂で、念を入れて料理を作ること、手塩にかけることを意味します。これも言葉の力だと思いますが、手料理とは手の脂がついた心のこもった料理だと、沖縄にはちゃんと残っている。これは明らかに1つの文化です。てぃあんだーと正反対の料理はカップヌードルです。100℃のお湯を入れて3分待てば、誰がつくっても同じ味になります。誰それがつくったカップヌードルの方が美味しい、ということはありません。それが典型的な文明の料理です。

  文明は、誰がやっても同じ結果が出せるという知恵ではあります。それに対し文化は、やる人によって、あるいは同じ人でもやる時によって結果が違う、とても人間的なものです。私たちは毎日違うその日を生きています。今日は昨日と同じ一日ではないし、明日は今日と同じ一日ではない。その中で喜びも悲しみもあり、笑うことも悩むこともある。人間はそういう日々を生きている、とても文化的で面倒なものなのです。

  文明が大いに発展したとしても、カップヌードルや電子レンジでチンすれば済む料理だけで生きていくような人生が、果たして手応えがあると言えるでしょうか。文明が進めば進むほど、一方でそれに対抗するように文化を大切にしていかないと、人間のバランスが壊れてしまいます。文明はモノの豊かさであり、文化は心の豊かさです。例えば捻ればすぐお湯が出てくるシャワーは、安くて早くて便利な文明の典型です。一方、温泉は文化と言えます。確かに行くのに便利ではないし高いし面倒ですが、シャワーでは身体は洗えても心は洗えません。ですから人間は毎日シャワーを浴びるけれども、年に何回かは温泉に行きたいと思うわけです。


  きものでも洋服でも、手織りで天然染料の草木染めのものは、都会の女性に限らず普通持っていませんよね。ほとんどが機械と化学染料でつくられています。私はそれが悪いと言っているわけではありません。しかしこの手織りと草木染めという文化の価値に、石垣島、竹富島、西表島のためにも気づいてほしい。もはや内地の植物による100%の草木染めは絶滅の危機に瀕しており、それを沖縄の皆さんが護らなかったら、日本からはその文化が無くなってしまうかもしれないからです。

  先ほども申し上げましたが、私はこうして出逢った手づくりの帯を、まず都会の若い女性たちに届けようと思いました。
  こちらは私どものブランドの1つであるKIMONO by NADESHIKO の原宿店です。お客様の85%が20 代という若い人向けのこのお店で、ゆかたなどに合わせる帯としてミンサーを扱っています。本日は実際にそのコーディネートを着用していただきました。松竹喜生子さんのご息女の未来さんです。3年前に東京から石垣に戻られ、現在は白保でミンサー帯を織られています。

  
   未来さんには今年の新作ゆかたに4寸という幅の狭いミンサー帯を、それからもうお一方には、大島紬に8寸の幅の広い帯を合わせてお太鼓で締めていただきました。何故大島紬にミンサー帯を合わせたかと言えば、奄美大島と沖縄が元は琉球弧という同じ文化圏であったことです。ジャワから伝来したイカットという絣技法は、最初に久米島に上陸し、それから奄美大島へ伝わりました。それが大島紬の母が久米島紬と言われる由来です。また、泥染めができるのは世界で久米島と奄美大島だけなのですが、同じ泥染めでも久米島はクールと泥、奄美大島はテカチと泥を使っており、染まる色が違います。風土から離れてモノづくりはできない、ということですね。

  今日私が着ているのは久米島紬にミンサー帯、そして大島紬の羽織でして、これらは全て手織りの草木染めです。私はこの羽織を20 年くらい着ていますが、天然染料なので色が経年で少しずつ退色しています。それは私にとっては不良ではなく味なんですよ。私の年齢になるとエイジングを考えねばならないのと同じように、ずっと変わらない化学染料の色とは違い、少しずつ馴染んでくるのが天然染料の良さだと思います。


  現在では、先の原宿店を始めとした若い人向けのお店で、ミンサー帯が全国的に展開されるようになりました。そこで感じたのは、都会の人のミンサー帯に対するとても強い憧れの意識です。例えば都会の女性にとって、藍のブルーは石垣の海や空の色、フクギの黄色はウージの畑の上を通りすぎる太陽の色、オレンジは東シナ海に沈む夕日の色に見えるんです。言うまでもありませんが、都会の人が石垣に来るのは、都会に無い色、無い景色がここにはあるからです。石垣にいる皆さんも、今よりももっと自分の周りにある価値に気づき、護ってほしいと思います。


  沖縄でこういった草木染めができるのは、沖縄の草木の生命力があってこそです。東京や大阪の樹木も確かに綺麗ですが、沖縄の草木のようなとてつもない生命力は持っていません。久米島、石垣島、竹富島、西表島の4つの島を回っていて、その生命力を改めて感じました。